初めての介護。
あなたにとって、どのような経験を思い出しますか?
私にとって初めての介護は、私の実の母親が、母にとっては義理の父親にあたる私の祖父を介護している姿でした。
まだ私が小学生だった頃です。
今でいう認知症ですが、当時はそのような言葉はありません。
ボケと言われてましたが、私の祖父が、若干ではありますが、その症状を患ってしまいました。
私の祖父は、国から勲章を授かるような立場だったようで、地域では名の知れた存在でした。
だらかというわけではないですが、そんな祖父のお世話への献身は、当時の私にとって衝撃がありました。
老いていく祖父の姿。
今でいう介護をする母の姿。
当時は、≪ 介護 ≫という言葉すら存在しない時代です。
言葉で説明されなくても、人として見習わなくてはいけない姿勢を母から学んだのが、私にとっての初めての介護です。
昔のトイレ介助
昭和の頃、洋式トイレは一般的でなかった時代です。
祖父は、早くに伴侶を亡くしましたが、支援が必要となるまで一人で自立した生活をおくっていました。
自宅トイレは、和式でした。
そのため、祖父を母の自宅でお世話をするようになったとき、トイレの介助に母は苦労していました。
それは、母の自宅と言いますか、私の家族が暮らす家は洋式のトイレだったからです。
和式トイレが普通だった祖父にとって、洋式トイレの使い方がわかりません。
洋式トイレでは当たり前ですが、後ろ向きになって便座に腰かけるというのができません。
そのため前向きになって便座に腰かけて用を足すので、便器の外に漏れてしまいます。
それを文句ひとつ言わずに後始末をする母の介護姿勢は、今でも鮮明に覚えています。
リファレンスがない不幸
令和の時代となり、核家族化が進み、高齢になれば介護施設に預ければよいといった思想がはびこれば蔓延るほど、人は不幸になります。
まだ小学生といった年齢の頃に、両親が祖父母の最期に向け、懸命にその生きるを支援する姿勢を学べないからです。
ハッキリと言わなければ、もはや多くの人の心に響かないので申し上げますが、その学びを抜かした人間は馬鹿のまま、その馬鹿さ加減から脱却できません。
しかも、馬鹿な人間は、自分が馬鹿だと気づかないので馬鹿なままのです。
なぜなら、老いを知らず、病を知らず、死を知りません。
だから、死を恐れ、病気になりたくないともがき、老いを嘆きます。
死を恐れ、死をどこか誰か他人事のようにしか思えないので、明日に亡くなる事実を知らずに、明後日の夢に邁進します。
なので、今、この瞬間を無駄にします。
あなたにお聞きます。
明日に亡くなるのが確実であるならば、今、この瞬間、何をしなければいけないのか。
答えられますか?
年老いた親御様の在宅介護から逃げるという行為は、死を学べず知らず恐れ、今日を無駄にします。
これが不幸なのです。
両親への尊敬を姿勢で示すのが在宅介護
もし、今、あなたが子の親として、その生きる姿勢は子にとって財産ですか?
私にとって、父の大黒柱としての後ろ姿、母の献身の姿、私の親として生きてくれた姿そのものが財産です。
どこか海外に連れて行ってくれたり、遊んでくれたりというのは、今の時代から比べれば極端に少ないです。
また、父が病気を患ってしまったので、経済的に苦しいこともありました。
実際に、私は奨学金をもらいながら大学を卒業しました。
でも、そのようなことは全く問題にならないどころか、人として生きるというのはどういうことなのかをキチンと示してくれたことがどれだけ私の人生に役に立っていることか。
ですから、父母には尊敬しかありません。
また、私は、配偶者の両親の介護も担いましたが、私という人間に無条件に信頼を寄せてくれました。
私の父はすでに他界していましたが、私の母、そして岳父、岳母とはお互いに信頼しあってもくれていました。
信頼は、その人の生き様が基礎であり、醸し出され、深まります。
どれだけ美辞麗句や学歴、職歴、財産を飾ったところで培われるものではありません。
尊敬しかない両親の姿勢や親子、親同士の信頼関係は無形の財産です。
今の時代の価値観に欠けているこの無形の財産への感謝を原動力としなければ、在宅介護をチャンスと見ることはできないでしょう。
私がここまで広くこうして在宅介護の重要性をお伝えできるようになったのも、それは母が祖父を介護する姿勢をしっかりと見せてくれたのが出発点です。
ですから、それが初めての介護になります。
年老いた親御様の在宅介護に責任を持つという行動を取れる人は、少数派ではないでしょうか?
多くの人は、それから逃げたがります。
この違いは、理性的に生きるのか、それとも本能のままに生きるのか。
その違いです。
現代社会にみられる競争への勝利の追及は本能のフルドライブを要求し、のみ込まれます。
なので、いざ、親が介護が必要になったら逃げ出します。
本能をドライブして生きる人生の結果は、一時的な快楽と生涯続く苦しみです。
それが判らないから不幸なのですが、本人は幸せなのです。