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人生を変える練習。ブッダの意志強化術
散りばめられたサクセスストーリーに多くの人が目を向けます。一方で、年老いた親御様の在宅介護こそ、誰もが完遂すべき素晴らしい目標だといったところで、ほとんどの人が見向きもしませんね。だからこそ、達成すべき目標になります。なぜなら、在宅介護がはじまれば、カッコつけられない日々が続きますが、それが最もカッコいい生き方だと気づける人は、そう多くないのです。 -
親御様の在宅介護は好転しかないターニングポイント
年老いた親御様の在宅介護は、好転しかしないターニングポイントです。理由は、簡単です。自分の人生に≪期待≫は成り立たないとハッキリと自覚できるからです。介護する親御様が亡くなる年月日は、いつなのか?全く、わかりませんね。判らないのですから、預貯金を切り崩しているとすれば、かなりの節約生活を強いられ、経済的には苦しくなる一方になります。しかし、それが人生を好転させていくスイッチです。 -
認知症は脳の疾患であり、心は認知症に罹患しません。
認知症を患うと短期記憶を失いがちです。お湯を用意しようとやかんを火にかけて忘れる。それが当たり前の日常への変わっていきます。そのため在宅介護では目を離せなくなりがちです。介護する子もストレスが溜まります。場合によっては、コミュニケーションができない苛立ちから、高齢者虐待へとつながりかねません。この記事では、私流の対処方法をお伝えします。 -
認知症症状の観察から突き止める≪記憶≫とは何か?
さて、また一歩、認知症について切り込んでいきましょう。親御様が認知症に罹患すると、さまざまな認知症症状に直面するはずです。さまざまな認知症症状に困惑すると思いますが、記憶、特に短期記憶がおぼつなくなる症状に翻弄されると思います。理解しがたい状況に直面して、まず真っ先に思うのが、その症状から脱却できないかと試行錯誤するはずですが、ムリだと判るのにそう時間を要しません。それよりも、認知症症状を洞察することで、その病との向き合い方が見えてきます。 -
ビジネスケアラー・茨の道を進め!
ビジネスケアラーという言葉が認知されつつある世の中になってきました。介護離職を余儀なくされるのではなく、仕事をしながら、ケアの必要な年老いた親御様の介護を在宅でおこなう人を指す造語です。大まかには、在宅介護をする社員を企業が支援するにあたって、国が補助する仕組みが動き出しているということを聞いています。私は、世の中のこの流れを強く支持します。なぜなら、ビジネスケアラーを支援する企業は、将来の成長が約束されるからです。 -
季節感を取り戻す@認知症
日付が判らなくなるとともに、季節感も判らなくなるのが認知症です。だからといって、暑い、寒いが判らなくなるわけではないのです。夏の暑い季節に着込んでしまい、汗だくにもなります。このような症状に陥るのも、一人でいると、季節感を感じて何を着衣すればよいのか、その答えを出すのが難しい状態になります。そこでどうフォローすれば、季節感に沿って生活できるのか、私の実践経験をお伝えします。 -
日めくりカレンダー、やめました。
認知症を患うと、日付や季節が判らなくなります。認知症症状に初めて接した頃は、驚きます。なんで、そのようなことも判らなくなるのかと。子としては、親にその程度のことを間違って欲しくない、そんな感情が生まれます。また、そのような症状が悪化しないようにと、様々なトレーニングも持ち出します。私も、そのような取組に励んだ時期があります。 -
私の母は認知症なのに、なぜ凛として道徳に強いのか?
在宅介護、というよりも年老いた母の生きるを支えているうちに、親子の関係性は深まりを見せていきます。親であり、私を産んで育ててくださって、巣立たせてくれて何十年というお付合いなのですが、母に対して、新しい発見が日々、生じます。これまでは、自分にとって母という存在ではありました。しかし、一人の人間として、生命として、なぜ、老いてもなお非常に凛とした姿勢でいられるのか。老いていくあるべき姿を私に教えているかのようでした。認知症を患っているにもかかわらず、なのです。 -
お母さん、私は介護『なんか』やってて良いのか?
母の言葉|いいかい。『なんか』とはなんだ!『なんか』とか言っているから何やっても上手くいかないんだ。何事も馬鹿にしちゃいけない。介護というのは、年を取れば誰にでも必要になる大事な取組なんだ。それを『なんか』と言っているうちは何も身に付かない。いいかい、介護を真剣にやってみな、わかるから。『なんか』とか言っているうちは何やっても上手くいかないよ。 -
新年にあたり
いつも当ウエブサイトをご覧いただき誠にありがとうございます。 私の三度の在宅介護経験が役に立つのであれば幸いと思い、開設したウエブサイトですが、お陰様で1年強にわたり更新を続けられました。 当初の目標では、まず1年間、サイトの更新が継... -
在宅介護でスイカを育てる≪暮らし≫の楽しみ方
介護施設のレクリエーションの一環として、畑仕事をやっているといった事例もお聞きします。一軒家タイプのデイサービス施設では、庭先をつかってプランターでミニトマトを植えるなどの取組もおこなわれています。このような取組は、家庭でも可能です。私の在宅介護ではスイカの種がキッチンの排水溝から発芽しているのに目をつけ、家族3人で育ててみました。 -
認知症でも≪暮らし≫は十二分に楽しめます
≪生活≫と≪暮らし≫の違い。これを区別して在宅介護は運営できます。多くの人は、在宅介護は親の面倒を看るぐらいにしか捉えられません。マネジメントの視点、さらには経営者の視点を入れると、在宅介護の取組はキャリア以上のキャリアになるのですが、気づきませんね。確かに、親の面倒を看ることには違いないのですが、どう面倒をみるのか、その思想が大切です。この記事では、介護が必要な私の母に対して、私たち夫婦の二人でどのように『暮らし』を楽しんでいたのか。その様子をお伝えします。 -
介護施設に預けた親が亡くなった時、自分に何が残るのか。考えたことがありますか?
年齢如何に関わらず、あなた様にお聞きします。『あなたは、本当に介護施設のお世話になりたいですか?』もちろん、独居や子供がいらっしゃらないご家庭、または老々介護といった状況であれば、介護サービスの介入は非常に助かります。ですから、そのような最も必要とされる境遇の方々に介護サービスは特化すべきというが私の考えです。一方で、子による在宅介護が可能であれば、それを主として、公の介護サービスは従という位置づけで力を借りるべきと考えます。 -
≪ 命 ≫を見たことがありますか?
介護が身体介護で語られているうちは、その本質は判りません。在宅介護は命のレッスンを受ける場です。命を見たことがありますか?『自分の』として捉えられる命、それは自分自身の命以外に、親子の間以上に濃いものはありません。だから、在宅介護は≪命≫レッスンの場として成り立ちます。在宅介護は、その命が消えていくのが判っていながらも、そのプロセスを懸命に支えますから、初めて命が見えてくるのです。 -
認知症介護は『生活』と『暮らし』の違いが判っていないといけません
認知症介護を担う立場であれば、判っておかなければいけない違いがあります。それが『生活』と『暮らし』の違い。一例を挙げましょう。お家で焼きそばを作ろうと思って買い物に出かけて食材を求め金銭を支払い、帰宅します。ここまでは『生活』。 そこからどう美味しく作ろうか。よし鉄板焼きで家族でワイワイしながら分け合ってガーデンで食べよう!、これが『暮らし』です。認知症は『生活』が難しくなりますが、『暮らし』は難しくなりません。『暮らし』の品質で認知症の悪化を防ぐのです。