命が心そのもの

 岳母と私は、共通に経験した岳父の最期を通じて、≪  ≫を詳らかに発見してきました。

 年齢はまったく関係なく、真剣に命を学ぶ話は皆が耳を傾けます。

 当然といえば、当然です。

 ≪ 生きるとは何か? ≫という命題に的確に答えられる人は滅多にお目にかかれず、話を聞く機会も得られないでしょう。

 逆に言えば、生きるとは何かが判らないので、不安、怒り、嫉妬、憎しみ等々、ネガティブな気持ちに支配されます。

 いずれ認知症も大事なテーマとして取り扱いますが、このようなネガティブな気持ちが認知症の原因だと言ったらどう思いますか?

 ですから、≪  ≫を学び、≪ 生きるとは何か? ≫を看破する。

 岳母と私の学びは、まだまだ続きます。

もくじ

命とは心です

 命、魂、意識、心、感情、気持ち、精神、スピリッツ・・・。

 皆さんは、この言葉の違いは区別できていますか?

 おそらく、多くの人が、それを知らずにご自分の想像の範疇でそれらの単語をテキトーに区別して使っています。

 そのような人が命を語り、心を語り、感情を語る話を聞いていると、とても中途半端に聞こえます。

 考えても見てください。

 ≪  ≫すら、発見したことがない人が命や心を語るのですから中途半端なのは当たり前です。

 ですから、まずはキチンと≪  ≫を発見する。

 その上で、命こそが、心そのものであるという理解ができます。

 なぜなら、命とは、常(つね)としていないからです。

 赤ちゃんを見ていてわかるように、さっき笑ったかと思えば、今、泣き出します。

 このように、心というのはいつも変化しているのも発見できます。

 その変化のスピードもさることながら、そのタイミングごとの種類も異なります。

 嬉しさだったり、悲しさだったりします。

 つまり、心とは感情そのものであり、感情が反応に応じて常に変化していきます。

 感情のひとつひとつをその時に応じて捕まえて、今の気持ちと言ったりもしますね。

 一方で、魂という単語が指す対象というのは、実はありません。

 ですから、精神、スピリッツ、が指す対象はありません。

 当てはめるとすれば、単にその単語を使う人が大事にしている固定的な思考の産物です。

 そのため、魂、精神、スピリッツは、人それぞれに指し示すところが異なり、変化しません。

 心は、常に変化しながら生まれては滅していく機能というのが肝心なところです。

心とは何かを観察する

 前の記事で、命とは反応であるとお伝えしました。

 岳母と私の会話は続きます。

さくら

要するに、心はいつも反応し、変化しながら流れています。

桜を見れば綺麗と思い、川のせせらぎを聞けば落ち着きを感じ、焦がし醤油の香を嗅げば美味しさを連想し、フレッシュなフルーツを口にすれば甘さに喜び、真夏の酷暑にさらされれば暑いと文句を言ってます。

また、昨日の出来事を思い出しては、ムカついてませんか?

岳母

確かにそうね。

さくら

ただ、心のどの反応も、生きたい、そして死にたくない、その気持ちを基礎にして反応をしながら生きています。

その気持ちが感情のちょっとした親玉ともいえる≪  ≫と≪ 怒り ≫の感情です。

岳母

ということは、≪  ≫と≪ 怒り ≫の感情で生きているわけ?

さくら

その通りです。

より良い人生になるようにと欲しいものを欲しいままにするためにお金を稼いだりしてきたはずです。

また、欲しいものが手に入らないとわかると怒りに苛まれてきたはずです。

欲と怒りの感情が生きる原動力になってきたのが、これまでを振返ってみると判るはずです。

岳母

確かにそうだわ。

欲と怒りはコインの裏表みたいなものね。

さくら

そうなんです。

そこで、欲と怒りが生きる原動力というのが判ったところからが、命を鍛える、つまり心を鍛える始まりです。

岳母

生きる原動力を鍛えるということなんだろうけど、なんだか、難しそうね・・・。

さくら

はい。まだまだ心が抽象的にしか感じない、見えないはずです。

ただ、方針としては、生きる原動力である欲と怒りは、抑える練習(プラクティス)をやります。

岳母

少欲知足なんて言葉も聞くけど、そういうこと?

さくら

おっしゃる通りです。

でも、多くの人にとってそれは言葉だけで中身を知りません。

抑える練習では、その中身を充実させていきます。

欲に駆られなければ、不安にも苛まれなくなります。

実は、これが認知症にも影響(※1)すると私は観察しています。ただ、認知症の話になるとまた長くなるので、今は、割愛しましょう。

岳母

わかった。

生きる原動力である欲と怒りを抑える練習というのをやってみればいいのね!

心の鍛え方を知らない

 人生の創造主は、命であり、すわなち心です。

 しかし、今の世の中でそれを知らず、また知ったとしても、心を鍛えるプラクティスに取り組む人は極めて少数です。

 ですから、厚顔無恥にもかかわらず、それに気づかず、おもいっきりその人の欲と怒りの感情で国すらも運営されます。

 心を学べば学ぶほど、世の中がよ~く見えてきます。

 年老いた親御様をケアする在宅介護でも、介護作業内容や施設環境等に注目が集まります。

 しかし本来は、そもそも介護を必要としなくても誰でも人生を全うするにはどうすれば良いのかという指針と取組が必要なはずですが、そのソリューションを手にする方向に歩んでいるとはとても思えません。

 そのため、何を学習するにしても、まず、心の鍛え方を学ぶ。

 在宅介護は、その学びの最高の環境です。

※1:個人的な見解であり、また家族内で限定で取り扱っている情報でしかなく、その内容を保証する証拠はありません。その点をご了承のうえ、本記事をご活用ください。

 欲と怒り。

 表裏一体といえるこの感情が生きる原動力というのを学んだことも私の人生に大きな影響を与えました。

 なぜなら、その心は人間に限らない。

 動物や、虫も同じです。動物はまだしも、虫には感情が無いと思いますか?

 もし、これが判らなければ、夏場に蚊を追いかけてみてください。もの凄いスピードで逃げ回るはずです。

 虫もまた、死にたくはない、その感情が生きる原動力だという事実を発見します。

 また、この心のあり様は、生命の種類の違いに依存せず、どの生命も同じです。

 だから、生命は平等なのです。

 平等だからこそ、これが生命を殺してはいけない理由です。

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