在宅介護の回顧録– 初めての介護が実母、そして岳父と続いて、岳母が三度目。 –
2012年頃から本格的になり始めた私の在宅介護の経験を投稿しています。振り返ってみて、どの出来事も昨日のように思い出されるので不思議です。在宅介護に真剣に取組み、得た、最も大きな学びのひとつは、最期である死とは何か。在宅介護で、親は命を懸けて死を子に教えます。人生の成功者は死を認めます。死とは何かを最大限に学べる在宅介護の機会を逃すのはもったいないこと。私の見解です。
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介護という言葉は差別的です
一般的に広まってしまっている≪介護≫という言葉は差別的です。親御様の介護であれば、親御様が心身ともに弱っていないといけません。つまり、弱者とみなす存在がいないと成り立たない言葉が≪介護≫です。そのため、もし本当に介護という言葉を差別なしに使うのであれば、介護が必要とならない支援をする活動が、親御様への本物の介護になります。この記事では、本当の介護とは何か?それをズバリと解説していきます。 -
在宅介護にマインドフルネスー身体の不調(よだれ)に気づくー
在宅介護で親と子によるマインドフルネスの実践は、さまざまな在宅介護シーンで有益です。今日、お伝えするのは親の体調で不調に気づき、改善するアプローチです。病院に行くほどでもないけれども、改善したいといった状況です。もちろん優れない体調の裏には、重い病が隠れている場合もありますから、まずはドクターの診察を受けるのが先決です。でも、原因がよく判らないので様子を見ましょうといったときの私の実践例を紹介します。 -
在宅介護にマインドフルネスー身体の動作に気づくー
毎朝のルーティンとして、ティッシュペーパーによる折り鶴が日課になった岳母。マインドフルネスの≪気づき≫の実践を抵抗感なくクリアしてくれました。≪折る、折る、・・・≫自分の動作への気づきが出来るようになると、日常生活のあらゆるシーンに応用できます。例えば、キッチンで包丁を片手に野菜を切るシーンはやりやすいと思います。≪切る、切る、・・・≫実は、このマインドフルネスの気づきの実践は、転倒防止や、体調がすぐれない時にも応用できます。 -
在宅介護にマインドフルネスー気づきを入れるー
一日をマインドフルネスでスタートさせる80代の高齢者は、そう多くないですよ!そのためのマインドフルネスを真剣に学ぶ姿勢の重要性と、在宅介護に取り入れる実践について述べています。ちり紙での折り鶴を通じて、行為に意識を向けることや実況中継することの重要性を解説しています。マインドフルネスを家族で共有したことで、岳母は、米国西海岸の最先端技術企業でマインドフルネスを学ぶ社員たちと同等か、それ以上に時代の先端を歩んでくれました。 -
在宅介護にマインドフルネスーちり紙で折り鶴ー
今では市民権を得た言葉として広く知れ渡っているマインドフルネス。でも、その内容を聞いてみると理解されている人は少ないようです。まず、マインドフルネスの源流は、お釈迦様の説かれたヴィパッサナー瞑想にあること。ですから、ヴィパッサナー瞑想とは何かをキチンと学ぶこと。当然、そこにはお釈迦様の教えもセットにあるので、それも学ぶこと。これらの基礎を固めてから、岳母との在宅介護生活にマインドフルネスを溶け込ませていったのです。 -
認知症を遠ざけるー良い集中力を鍛え、悪い集中力に嵌らないー
高齢になっても異性を意識しようといったスローガンを掲げる人もいますが、それは単に興奮状態の心で脳を酷使しているだけではないでしょうか?興奮は、興奮を呼ぶので集中力が増しているかのように思うかもしれません。でも、脳はダメージを蓄積します。徹夜で麻雀して、興奮してゲームに集中すると思いますが、あの状態が脳に良い影響を与えると思いますか?高齢者に向けて脳の活性化などと称しているフレーズの中身は、よく精査しないといけません。 -
認知症を遠ざけるーありのままを見るー
晩年に湧き出る問題や課題の数々。 感じていらっしゃる方も多いです。その問題や課題を解決するコツは、どうにかしようと思うのではなく、手放す。気がつかなくてはいけないのは、どうにかできる現実など一つも無いという事実の発見です。ありのままを観察できれば、それが判ります。例えば、親子の問題。あれだけ手塩にかけた子供が、自分の面倒を看ない現実に直面すれば、悲嘆に暮れます、おそらく。最も自分の思い通りにしたい現実ほど、そうならないと思うはずです。これがありのままの世界です。 -
認知症を遠ざけるー湧き出る晩年の問題から逃げないー
病気も同じです。原因は自分で作っている。医者は病気を判別し治癒させる方策も知っているでしょう。しかし治せるのは自らの心が持つ自然治癒力が主でありドクターの協力は従です。なぜなら、病を作ったのも自らの心なのですから、治癒できるかどうかもその心にかかっているのです。これまでの生きたい気持ち、死を避けたいが故の判断が人生の終盤においてどう課題として降りかかってきているのか?課題を直視すればそれを生じた心を改めケジメをつける。認知症を遠ざける取組です。 -
認知症を遠ざけるー要介護認定されたいですか?ー
お聞きしますが要介護認定されたいですか?岳母の在宅介護では≪介護を必要としない介護≫を目指しました。当たり前ですが、世の中の介護サービスを受けるには要介護認定が必要です。しかしその必要性を求める疾患が無い以上、介護サービスは必要としません。多くの人が勘違いしているのが高齢になれば介護サービスがあるから安心と思いがちですが違います。介護サービスをできるだけ必要としないライフスタイルの確立が本当の安心なのです。 -
認知症を遠ざけるー活き活きした心で脳を活発化させるー
認知症さえ遠ざければ、在宅介護ははるかに楽になります。そこで、この記事では、マインドフルネスが認知症予防に与える影響について、AIのClaude 3とディスカッションした記録を公開しています。AIの深化は目覚ましいですが、質問するこちらもその分野の専門性を深めていると有意義な議論ができます。しかも、その議論のプロセスと結果は多くの人にとって有益なものになります。認知症だけは避けたい!、そう思われるなら必読の内容です。 -
認知症を遠ざけるー脳の活性化?何それ。ー
脳を活性化すると称して、計算ドリル、塗り絵といった小学校でやるようなペーパートレーニングをやらされるのが介護施設です。そもそも、なんですかね、脳の活性化って。そのようなトレーニングで認知症が改善するとか、進行しない効果があるなら、認知症になる前から取り組めば認知症に罹患しないはずですよね。70歳を超えたら皆、毎日、塗り絵を義務化すれば、日本はとっくに高齢者の認知症など無縁の世界です。こんな当たり前のことさえも洞察できない思考停止の状態が介護の世界なのです。 -
認知症を斬るー認知症と薬物中毒ー
薬物中毒者も、認知症と似たような症状を呈すると聞きます。当たり前ですが、脳が委縮するためです。しかし、薬物を摂取しなくても、極度の不安、もしくは興奮に苛まれるような環境に置かれ続ける日常でも、脳の萎縮は認められるようになります。結果、そのような環境に置かれ続けると認知症のリスクは高まります。逆に言えば、認知症予防は不安、興奮といった刺激を受け続ける環境を避けるか、もし受けたとしてもその感情に呑み込まれない力を身に着けるところにある、というのが私の見解であり、仮説なのです。 -
認知症を斬るー老いるとなぜ認知症に?ー
得られることのない期待と妄想を求め続け、欲と怒りが心を支配していると、脳はオーバーヒートすると考えています。心のありようによってオーバーヒートさせられた脳は、委縮が進みます。個人の見解ですが、このような欲と怒りが支配する心のありようが、老いを加速し、認知症を引き起こしていく最たるリスク要因ではないかと考えています。もっと言えば、老いていく人生のプロセスの上で、心のありようが与える脳への影響が認知症発生の有無を決める、という見解と仮説を私は持っています。 -
認知症を斬るー安心してトイレができるー
認知症を患った実母の在宅介護で、トイレ介助をさせて欲しいとお願いしたところが信頼関係を構築する上でのスタートです。二世帯住宅で長年、共に生活を営んでいても、トイレ介助は絶対にさせたくない、したくない親子関係だってあるのです。むしろ、近くに住んでいたとしても在宅介護はままならないなんてザラです。逆に言えば、トイレ介助の成功の可否が、在宅介護を上手くやっていけるのか、それとも出来なくなるのかの分水嶺といっても過言ではありません。 -
認知症を斬る―トイレ介助の認識の境界―
健常者から見れば、実の親御様であっても、初めのうちは認知症症状の行動は理解できません。しかし、どこまでが判っていて、どこからが判らなくなるのか。その境界を見定めて、気づいてさしあげることで認知症への理解が始まります。不穏や、理解できない行動をとるのはなぜか?もしかすると、親御様が何がしかの答えや解決策を探してのことかな?、とアプローチを深めていくと自立の支援と手助けの両立が可能になります。この延長に認知症症状を表面化させず、一緒に楽しく暮らせる答えがある、というのが私の経験です。