在宅介護の回顧録– 初めての介護が実母、そして岳父と続いて、岳母が三度目。 –
2012年頃から本格的になり始めた私の在宅介護の経験を投稿しています。振り返ってみて、どの出来事も昨日のように思い出されるので不思議です。在宅介護に真剣に取組み、得た、最も大きな学びのひとつは、最期である死とは何か。在宅介護で、親は命を懸けて死を子に教えます。人生の成功者は死を認めます。死とは何かを最大限に学べる在宅介護の機会を逃すのはもったいないこと。私の見解です。
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在宅介護の回顧録
疑う力を養えよ
信じるより疑うほうが、はるかにパワー、労力が必要です。信じる方が楽だし、楽だから疑いもせず鵜呑みにするのです。常に、世界を疑ってかかれば、自分は孤独でないといけませんしね。ただ、これは死ぬまでに絶対に培わなければいけない力です。自分の子供ですら、たとえ我儘でも言ってくることを良かれと思って信じれば、彼らは騙してくるのです。次のフレーズは、よく覚えておいていただきたいのです。裏切りは、もっとも身近な人が起こす。 -
在宅介護の回顧録
親への虐待、その罪深さを教えましょう。
本当に何も知らない、判らないというのは最悪の意味で幸せなのかもしれません。仏教をほんの少しでも学んで、ネットでも調べてみると五逆罪(ごぎゃくざい)というのがあるのを知ります。その1番目と2番目にくるのが母、父を殺害する罪だと知ります。実際に殺害していなくても、年老いた親が子に助けを必要としているのに、例えば無視をする、暴言を吐く。その行為は罪だと思いますか?、それとも罪に問われないと思いますか? -
在宅介護の回顧録
高齢者虐待とオレオレ詐欺は同じ弱点を攻撃する
令和の時代になっても絶えないオレオレ詐欺。ストーリーが巧妙になり、騙される人が後を絶ちません。当初のストーリーは、高齢の親御様の子供が、『オレオレ』といって電話をしてきて、アクシデントでお金が必要になったので用意して欲しいという内容でした。周囲からみれば、なんでそんなにも簡単に騙されるのだろうかと思ったはずです。でも、それが子を思う親の心。 確かに、こう書けば聞こえは良さそうです。でも、その心がすべての不幸の始まりです。 -
在宅介護の回顧録
虐待への静かなる逆襲
高齢になれば、身体は弱くなります。しかし、強くなるところを見落としてしまっています。それは、心です。それを清らかにして静かに虐待に対処していきます。年老いた親御様が子から虐待を受ければ、落胆するはずです。でも、それでは心が清らかではありません。たとえ大切に育てたとしても子は虐待してくるのが当たりまえ。このような観察眼が清らかな心です。動じていませんね。だから、虐待に的確、かつ有効な対処ができるのです。 -
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虐待を見破る目の覚まし方
やれ、孫が生まれればちょっかいを出し、カネを渡し、出産祝いをあげるわ、ランドセルを買い与え・・・挙句の果てには二世帯住宅を建てるわ、孫には生前贈与までする。あのね、そんなことしていて子や孫から尊敬されるとでも思いますか?感謝されると思いますか?もし、子や孫に対して、親がそんなことをしていて尊敬やら、感謝やらされるなら、家族全員で一丸となって最高の在宅介護をやってくれているはずです。でも、世の中を見渡してみてどうですか?現実が見えませんか? -
在宅介護の回顧録
高齢者虐待のやり口
無事に退院できた母は、当時の生活環境にケジメをつけて私との生活を希望します。 どのご家庭でも同じですが、親子の関係でも振り返ればいろいろあるはずです。しかし、助けを求められれば、二つ返事でオッケーします。同時に、母がこの決断をされて困るのが、それまで同居していた親族です。この退院から母との私の在宅介護生活が始まるまでの期間、彼らから受けてきた虐待が実に卑劣でした。その一部をご紹介しましょう。 -
在宅介護の回顧録
虐待する子と介護する子の違い
日本中に東日本大震災の影響が残る最中の正月に母は救急搬送され入院しました。それ以前から、母の生活に危機が迫る足音は聞こえていました。母とは電話でよく話をし、また私の事務所にもよく立ち寄ってくれましたから。しかし我慢強かった母も、この入院を機会に堪忍袋の緒が切れたのでしょう。他の親族による母への態度を看過できなくなっていきました。 -
在宅介護の回顧録
元日午前2時頃に電話
いま振返れば、あの時がターニング・ポイントいうご経験は多いはず。そんなターニング・ポイントは決して喜ばしいこととは無縁です。東日本大震災をきっかけに、東京でも震災の影響は色濃く、人々の心理に影を落としていた頃です。例えば、水道水の放射能汚染の心配。東日本大震災は、物理的な揺れによって都市生活の脆弱さをあぶりだしましたが、家庭内の営みの不都合さもあぶりだしたのではないでしょうか?実母の生活でも、それは例外ではありません。 -
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初めての介護
初めての介護。あなたにとって、どのような経験を思い出しますか?私にとって初めての介護は、私の実の母親が、母にとっては義理の父親にあたる私の祖父を介護している姿でした。当時は、≪ 介護 ≫という言葉すら存在しない時代です。言葉で説明されなくても、人として見習わなくてはいけない姿勢を母から学んだのが、私にとっての初めての介護です。 -
在宅介護の回顧録
ある日突然具合が悪くなる
三度目となる岳母の介護では、マインドフルネスを導入後、心安らぐ日々を過ごしました。しかしある日、突然に具合が悪くなってからはフルパワーで岳母を介護し、最期に向けたプロセスの伴走をします。この内容は深淵です。ただ私の在宅介護未経験時代からの経験を披瀝してからがベストだろうと判断しました。そのため三度目となる岳母の介護の回顧録を一旦とめ、初めての介護となる実母の在宅介護について回顧録を綴っていくことします。 -
在宅介護の回顧録
介護という言葉。AIとの議論で導く差別的でない使用は世界を変える。
この記事は、在宅介護に頑張る方々、介護関係の仕事に携わる方々、すべての方々に目を通してほしいと思います。ご自身が、いつかやがて高齢になったとき、≪介護≫されたいと思いますか?私は、思わないです。なぜ、拒否反応をするのか?それは、≪介護≫という言葉が指し示す対象が、≪弱者≫という前提だからです。それは、差別的であり、今、日本中で多くの人々の口から発せられる≪介護≫という言葉に尊敬は無く、弱者扱い、厄介者扱いの意図しかありません。 -
在宅介護の回顧録
介護という言葉は差別的です
一般的に広まってしまっている≪介護≫という言葉は差別的です。親御様の介護であれば、親御様が心身ともに弱っていないといけません。つまり、弱者とみなす存在がいないと成り立たない言葉が≪介護≫です。そのため、もし本当に介護という言葉を差別なしに使うのであれば、介護が必要とならない支援をする活動が、親御様への本物の介護になります。この記事では、本当の介護とは何か?それをズバリと解説していきます。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスー身体の不調(よだれ)に気づくー
在宅介護で親と子によるマインドフルネスの実践は、さまざまな在宅介護シーンで有益です。今日、お伝えするのは親の体調で不調に気づき、改善するアプローチです。病院に行くほどでもないけれども、改善したいといった状況です。もちろん優れない体調の裏には、重い病が隠れている場合もありますから、まずはドクターの診察を受けるのが先決です。でも、原因がよく判らないので様子を見ましょうといったときの私の実践例を紹介します。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスー身体の動作に気づくー
毎朝のルーティンとして、ティッシュペーパーによる折り鶴が日課になった岳母。マインドフルネスの≪気づき≫の実践を抵抗感なくクリアしてくれました。≪折る、折る、・・・≫自分の動作への気づきが出来るようになると、日常生活のあらゆるシーンに応用できます。例えば、キッチンで包丁を片手に野菜を切るシーンはやりやすいと思います。≪切る、切る、・・・≫実は、このマインドフルネスの気づきの実践は、転倒防止や、体調がすぐれない時にも応用できます。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護にマインドフルネスー気づきを入れるー
一日をマインドフルネスでスタートさせる80代の高齢者は、そう多くないですよ!そのためのマインドフルネスを真剣に学ぶ姿勢の重要性と、在宅介護に取り入れる実践について述べています。ちり紙での折り鶴を通じて、行為に意識を向けることや実況中継することの重要性を解説しています。マインドフルネスを家族で共有したことで、岳母は、米国西海岸の最先端技術企業でマインドフルネスを学ぶ社員たちと同等か、それ以上に時代の先端を歩んでくれました。