寄添う介護?それはテキトーに頷いているだけです

 例えば、結婚に際して、私は、男性なので伴侶となる女性を選びます。女性であれば、伴侶となる男性を選びますね。その時に、何を基準に選びますか?

 人生は、至る場面でパートナー選びが発生します。仕事のパートナー、チームメンバーとしてのパートナー、協力会社としてのパートナー、などなど、さまざまなパートナーシップを結んだうえで人生が流れます。

 親御様が認知症を患い要介護となり、介護サービスを受けようと思えば、まずケアマネ、次に介護施設とさまざまなパートナーシップを結ばないといけません。

 パートナーシップを結ぶ相手の基準は、さまざまかもしれませんが、唯一、絶対、これは外せないという基準をこの記事ではお伝えします。

もくじ

わがままを多様性と宣う時代

 人と会話ができていますか?

 最近、私は出来なくなってきました。

 なぜなら、何を云っても無駄。

 今に始まったことでありませんが、その傾向が近年、非常に強くなったと感じています。

 理由は、簡単です。

 誰もが、自分は正しいと思っているからです。

 これは、近年に流行したフレーズが悪しき象徴として挙げられます。

 その一つが、≪自分らしく生きよう!

 今でも人気があるフレーズかもしれませんが、何でしょうね、自分らしさって。

 あなたの狭い了見でしかないというのが判らない無知な人間が使うフレーズなのを知らないのでしょう。

 つまり、わがまま。

 しかし、今の時代は、これを多様性というのです。

 昨今では、日本語をマスターする気も無い外国人を大量に入国させ、日本語すら通用させない魂胆で支えらているのが東京となりました。

 言葉が通じない。

 自らの寿命を迎える前に、日本が寿命を迎える勢いです。

長寿の方々に寄り添う介護?それはテキトーに頷いているだけです。

 初めての担当者会議は、介護施設の現場で働く人と生で接する最初の機会です。

 上場企業が運営する介護施設の現場では、20代、30代といった若い方が活躍されます。

 若さは、貴重です。

 しかし、それゆえに話が通じないとなると問題です。

 10年以上、昔の話になりますが、当時の介護施設には戦前、戦中、そして戦後をしっかりと生き抜いた長寿の方々は多く見受けました。

 この世代の長寿の方々は、滅多に第2次世界大戦の頃の話はしませんが、やはり昔の話になった時に、今の20代、30代の方々の理解とギャップがあります。

 確かに、日本の歴史教育は間違っていますが、今の時代、もはや義務教育に頼った学業への期待は地に落ちているのは明確なのですから、他責にしたところで意味がありません。

 同時に、インターネット上の正しい情報を手にして貪欲に学ぶべきを学べば、義務教育のスピードをはるかに超えて学びを修了できる時代が到来しており、これは本当に幸せなことです。

 この時代、長寿の祖父母がいれば、介護を手伝わせて、命、心、生、老、病、死を学ばせながら、インターネットの力を借りて勉強させるほうがはるかに知性が伸びるはずです。

 それも楽しく。

 『よし、今日は一緒に英会話縛りでおばあちゃんの介護をしてみよう!』、とかね。

 もちろん、おばあちゃんにも、英単語を頑張ってもらいます。

 それに、祖父母を知るところから日本史は始まるという視点も教えられていないのでしょう。

 さて、話が逸れたので、元に戻りますが、例えば、機銃掃射を知らない。

 検索すれば、すぐに出てくる単語ですが、それに追い回される恐怖感をどうやって理解するのでしょうね。

 他にも、利用者である多くの長寿の方々は、おうちでは子供から厄介者扱いされている人が実に多いのです。

 子供から厄介者にされる親の気持ちを、まだ大人になりきれない介護職員のスタッフはどう理解するのでしょうか。

 認知症を患っていても、心は認知症ではありません。

 認知症の人の話は、全肯定で頷いていれば良いと思っていたら大間違いです。

 聞いていないな、ぐらいは判っています。

 それでも長寿の方々が黙っているのは、ご自分が理解されない現実を受け入れているだけなのです。

聞く耳がない

 さて、母と私が出席する担当者会議もまた、話しが通じない現実を目の当たりにします。

 ケアマネ、施設長、相談員、母、そして私でテーブルを囲んで申し合わせて介護内容を確認してきます。

 その中で、若い女性の相談員が、母のこれまでのライフ・ヒストリーを教えて欲しいと尋ねます。

 母は、戦前、戦中、そして戦後を生きてきた話や、戦後どのような生き方をしてきたのかを話します。

 また、華道の師範でもあったので、人にその道を教える大変さを話していました。

 若い女性の相談員は、母の話に耳を傾け、よく頷いているので、話の内容を判っているのかな?、と私の目には映りました。

 母が話を終えると、若い女性の相談員が真っ先に、口を開きます。

女性相談員

それでは、お花が好きなんですね!

 すぐさま私は心の中で、こうつぶやきます。

さくら

母はかつては華道の師範だったが、花の話はひとつもしてないだろ?
人に道を教える大変さを話していたのを聞いてなかったのか?

 それまでの相談員への私の評価は様変わりし、心でつぶやき終わる間もなく、母が言葉を返します。

さくらの母

いいえ。もう華をやりたいとは思っていません。(キッパリ)

 まぁ、会議の場は若干ですが、空気が凍りますわな。

 女性相談員のノートをチラッとみると、次のコメントが一言がありました。

 「お花が好き。」

 今の若いものは・・・、というフレーズは嫌われる言葉ですが、これが介護サービスの現場なのです。

 ですから、どのような施設に通うことにせよ、絶対に心に決めておかなければいけない基準があるのです。

 それは、期待しない。

 つまり、ゼロ。

 期待しないにまつわるエピソードも、逐次、記事に織り込んでいきます。(この点は、期待してください・笑。)

 母と私がお世話になった施設とは異なり、別の介護施設になりますが、そこで介護職員の間で交わされるシリアスな会話は、実はもう笑うしかない内容が枚挙に暇がありません。もしくは、開いた口が塞がらない。

 介護職員の勤務で休憩時間がありますが、その時、タバコを吸われるのは良いとしましょう。しかし、ある程度の規模の大きい介護施設で、喫煙室が外にあるところでは、休憩している職員同士の会話はどのようなものか。いわずもがななのですが、それが外に漏れていることに気づかないのですから、目も当てられないのが現実です。

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