認知症症状を表面化させない被害者意識の脱却

 ご自身の親御様の在宅介護は、大変ですか?私は大変でした。在宅介護が始まった当初は、どうしたらよいものかと悩みました。

 しかし、親の介護のせいで自分が犠牲になっているとは思いませんでした。自分の人生が、親の介護のせいで悲惨なものになっていると、そのような思いには至らなかったです。

 その逆です。親の死で在宅介護は終えますが、臨終に際して真っ先に思ったのは次でした。まだ、もっとお世話するから長生きしてほしかった。暮らしを楽しみたかった。

 この願いの実現に向けて全力を尽くしていた大変さが私にはありました。

もくじ

介護で犠牲になる人生はありません

 よく年老いた親御様の介護で人生は暗く、混沌し、社会との断絶等々をあえて負の側面としてクローズアップした報道が流されがちです。

 あの手の報道によって、すべての家庭がそうだという認識に陥りがちですが、昨今の報道のクオリティ低下から国民の多くがその洗脳には陥らなくなってはきてはいます。

 しかしながら、それでも在宅介護に関しては、ネガティブに洗脳する報道が多いのが実情です。

 実際に、在宅介護のある生活は、楽ではないのです。

 経済的、精神的、肉体的、人脈、あらゆる資本や体力を投資していきますからね。

 でもちょっと待ってください。ここがポイントなのです。

 いま、私は、≪ 投資 ≫と書きました。

 あらゆる資本をすり減らすとか、消費するとは書いていないのです。

 実は、在宅介護は、介護する子にとって何よりも代えがたい自分自身への最高の≪ 投資 ≫なのです。

 これが判っていないので、介護する子の多くは、親御様の介護の犠牲になっているとしか思えないのです。

自分で自分の人生を犠牲にしています

 年老いた親御様への在宅介護は、自分への最高の≪ 投資 ≫です。

 おそらく、このようなことを言っているのは私ぐらいかもしれません。もちろん、私の狭い了見なので、間違っているかもしれませんが。

 在宅介護が≪ 投資 ≫だ、とする見解は追々に披瀝するとして、その理解と実践をするにあたっては、最初に自分を変えなければいけません。

 変えると言っても、心のあり様を変えます。

 それは、なぜ、年老いた自分の親御様を介護している行為によって、自分が犠牲になっていると思うのか?

 まず、これを詳らかにして欲しいのです。

 私もまた、実母の介護が始まった当初は、『介護なんて、やってていいのか?』と実母と議論したぐらいです。

 その時の議論は、議論と言っても一刀両断で母に論破されて瞬殺でしたが(笑)。

 例えば、在宅介護をしなくてはならず、会社を辞めて、社会から疎外感を感じていたとしましょう。

 なぜ、その疎外感によって、どんよりと暗い気持ちになるのですか?

 逆にお聞きすれば、勤めていた会社には日々、にこやかに、毎日がサイコー!、なんて思って通勤していたのでしょうか?

 仕事内容、給料、上司、同僚等々、おそらくは文句の対象だったはずです。

 それが、いざ在宅介護で、会社を辞めてみると、疎外感に苛まれるなんて変ですよね。

 このような考え、気持ちに陥ってしまう自らを冷静に観察して欲しいのです。

 そうすると、判るはずです。

 例えば、今、目の前に生じていることに、自分のベストを尽くして取り組む。

 これまでも、そして今も、その姿勢が貫かれていなかったのではないか。

 飛躍できる課題を自らの力で発見できるはずです。

被害者意識は伝わっています

 親御様が介護を任せる時、どんなお気持ちか?

 誰だって、トイレをお世話で人の手を借りたいとは思わないはずです。

 親もまた、実の子にトイレのお世話をさせたいなんて思っていません。

 でも、その必要性が目の前に来ている時に、もし介護している子が嫌々その作業をやっているとすれば、それは親御様に伝わります。

 『なんで、親のシモの世話をしなくちゃいけないんだ!』という被害者意識でトイレ介助をやるのと、『ウエルカム、遠慮なくいつでも手伝うから言ってね!』という精神性でトイレ介助をやるのと、両方の気持ちは親御様に確実に届きますが、認知症症状を表面化させないのはどちらの精神性でしょうか?

 言うまでもないですね。

 もし介護する子が被害者意識でトイレ介助すれば、親御様は、認知症を患っていたとしても、心は認知症ではありませんから自分のトイレで子に迷惑をかけるのは避けなければいけないと思い、なんとか自力でやろうとします。

 しかし、認知症を患っていると上手くいきません。結果として、排泄行動で家族に迷惑をかけ、家族はそれを叱責するという悪循環から抜け出せなくなります。

 トイレ介助が判りやすいので例にとりましたが、日常生活のあらゆる状況で、認知症症状により暮らしが問題だらけになるのか、それとも認知症症状が表面化せず穏やかな日常になるのかは、介護する子の被害者意識からの脱却がカギを握っているのです。

 決して、認知症だけが問題ではないのです。

 年老いた親御様への在宅介護は自分への最高の投資です。

 投資といえば、株式、不動産、為替、債券等々さまざま対象があります。自己投資というのもありますね。スキルを磨くために学校に通う。資格を取得する。

 どの投資もリターンを期待してのことですが、ハイリターンを望むほど、高いリスクを取る必要があります。なぜなら、リターンは必ずしも約束されてはいないものばかりが対象だからです。

 ところが、年老いた親御様の在宅介護だけは違います。リターンは約束されています。なぜなら、その行為は、善い行いなのか、悪い行いなのか。心の道徳の観点からみればハッキリと判ります。

 いわゆる、経済的な期待による投資の心を観察してみてください。

 マーケットから撤退する人のメンタリティは、欲で相場に接したのならば、怒りで退場させられます。

 このポイントで書いた内容がご理解できれば、在宅介護は最高の投資だと判ります。追々、ブログで深堀していきましょう。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
もくじ