在宅介護で初めての救急車

 年老いた親御様の介護に責任を持つ大変さの一面には、親御様の健康状態の変化に左右されるところでしょう。今日は元気でも、明日には具合が悪くなり寝込んでしまう。これが老いの現実です。

 いつまでも、いつも元気なままでいてほしいと願ったところで叶いません。この変化への対応力、幅が、在宅介護のクオリティを左右しますが、最初はそんな対応力は、皆無に等しいものです。

 さまざまなアクシデントを乗越えていく経験が、その実力を高めます。

もくじ

7119

 実母、家内、そして私の3人の暮らしが始まって、初めて救急車を要請した時のことです。

 要請した理由は、後述するとして、それまで、7119番という番号を知りませんでした。

 119番は、おなじみの救急と消防ですね。

 実際に在宅介護をやってみると判るのですが、救急車を要請するにしても、症状に応じてその必要性が不明瞭な場合があります。

 むしろ、タクシーを要請して外来に向かった方が良いケースや、夜が明けるまで待って外来に出向いた方が良いケースもあります。

 そのような状況の時、まず頼ってみる価値があるのが7119番です。

 具合の悪くなった親御様の症状を伝え、救急車の要請が必要か否かの助言をくれます。

 必要となったら、救急隊の要請となります。

転倒

 在宅介護で、初めて救急車を要請した当時の様子を紹介します。

 母と私で外出して、帰宅していた時です。もうすぐマンションのエントランスに到着するのに5メートルも無かった距離でした。

 そのとき、母の腕を支えながら、私と並んで道路の端を歩いていました。

 安全には注意を払っているのですが、そのときの盲点は、道路の端は側溝に向かって斜めになっていますよね。

 それに注意を払いきれていなかったのです。

 私がマンションのオートロックを解除するために鍵を取り出そうと母の腕の支えを手放した瞬間です。

 その側溝に向かって斜めになっている方向に重心が傾いてしまい、母が転倒してしまいました。

 走馬灯のように、その瞬間はゆっくりと時間が流れるように見えるのですが、手を伸ばしても倒れていく母を捕まえきれず、です。

 悔やみましたし、もっと注意を払っていればと母には謝りましたが、母が大丈夫と気丈に振舞ってはくれました。

 自分で立ち上がることも出来たので、転倒した瞬間は大事には至らないかなと思ったのですが、時間が経過するにつれ、痛みが強くなってくたと訴える母。

 転倒してから、少し様子をみていたのですが、あざも大きくなり、やはり後々に手遅れになるといけないとの判断から、7119番に電話をしたところ、やはり救急車の要請となりました。

救急搬送

 救急車はすぐに到着してくれました。

 いまでこそ、どのような症状にも冷静に対処できますが、当時は初めてのことで私も気が動転しています。

 すでに向かう先の病院には連絡がついており、急行できる状況でした。

 母を救急隊員にお任せして、私と家内も救急車に同乗して同行します。

 急行する車中で、救急隊に転倒した状況や、日常の健康状態を一通りお伝えし終わった頃です。

 私は、いわゆるツッカケと呼ばれるサンダルを履いてきてしまった状態に気がつきました。

 相当に慌てていたのをよく覚えています。

 万が一、脳に異常があったらどうしようといった心配や、足らなかった注意深さなど、その時は、落ち着いた心は無かったのです。

 そして、もうひとつ、素晴らしいと思う病院の対応がありました。

 救急病棟に到着するや否や、母は救急隊と共に、ドクターとナースに導かれて処置室に向かいます。

 私と家内も、一緒に同行しようと思ったその時です。

 ドクターとナースが、私達二人の病院内への入室を拒むのです。

 そして、別室に通されます。

 なぜだか判りますか?

 これは、実は高齢者虐待の有無をチェックするためです。

 ドクターが、直接、母にこのような状況になった経緯を確認するわけです。

 ここで、もし虐待があれば警察に通報となるわけですから、日本の医療体制のクオリティは非常に高いと実感したのをよく覚えています。

 逆に言えば、虐待で高齢の親御様が怪我をするという事例が後を絶たないという現実もその裏にはあるわけです。

 問題は、そこですね。

 さて、無事に救急病棟での検査が終わり、ドクターから説明を受けます。

 脳の異常は、見当たらないけれども、もう少し検査をしてみる必要性や、他にも眼科、歯科、形成外科などなど、いろいろなセクションの診察と治療を受ける事態となってしまいました。

 大事には至らなかったのと総合病院だったのが、せめてもの救いで、母と一緒に通う病院がまたひとつ増える結果となりました。

 在宅介護を経験してからというもの、救急車のサイレンの音には意識が向くようになりました。

 三度にわたる在宅介護で、幾度となく救急車には同乗してきました。地域の救急隊には、名前も知られるようにもなりました。それだけ、お世話になる回数が多かったのです。

 コロナ禍が過ぎ、深夜に鳴り響くサイレンの数は減ったように感じますが、その救急車で運ばれる患者とご家族の気持ちを思えば、無事であってほしいといつも願います。

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