晩年に湧き出る問題や課題の数々。
感じていらっしゃる方も多いです。
その問題や課題を解決するコツは、どうにかしようと思うのではなく、手放す。
晩年になって学び、気がつかなくてはいけないのは、どうにかできる現実など一つも無いという事実の発見です。
ありのままを観察できれば、それが判ります。
例えば、親子の問題。あれだけ手塩にかけた子供が、自分の面倒を看ない現実に直面したとします。
それが当然と思ってこなかった人は、悲嘆に暮れます、おそらく。
また、身体にしても同じです。昨日まで元気にしていたのに、今朝、目を覚ましてみたら高熱を発していたなんて、当たり前にあります。
高熱ぐらいならまだしも、病院で診察を受けたら癌だった、という現実にも直面します。
最も自分の思い通りにしたい現実ほど、そうならないと思うはずです。
これがありのままの世界です。
在宅介護は、マインドフルネスを実践する環境としてベストです。
その実践に役立つ世の中のアーキテクチャ、ありのままを知っておきましょう。
人生を思い通りに生きたい
人生を思い通りに生きたいという考えを改めるのも、手放す一環です。
古い、間違った考えほど、改めていく必要があります。
人生が思い通りになるなどと思ったら、大間違いです。
にもかかわらず、願望実現というフレーズが大好きな人は街に溢れています。
お正月に初詣に行く人を見れば、疑いようがありません。
でも、無理ですね。
絵馬に東大合格、なんて書いてお参りする暇があれば、勉強を進める方が合格する可能性は高まるというものです。
初詣ぐらいは、遊びの範疇なので人生にそれほど悪影響はないでしょう。
でも、将来、子供が介護をする約束で親が二世帯住宅を建ててやったとします。
多くの人が、社会で働いて、住宅ローンを組んで、やっと一軒の家を持つか持てないかの世の中です。
時が経ち、カネの苦労や人間関係の苦労も知らないような子供が、親の介護を喜んでやると思いますか?
人生を思い通りに生きたいという発想は、期待でしかありません。
期待をすればするほど、期待が大きければ大きいほど、それは苦しみを生みます。
期待通りにならない理由
親からみて子供が思い通りにならない、またさまざまな現実も思い通りにならないのには理由があります。
それは、変化し続ける現象だからです。
人も、物も、必ず変化します。
変化するのが当たり前なのに、変化しないでくれと願う。
もしくは、思い通りに変化してくれと願う。
でも、変化は続き、思い通りにも変化してくれません。
だから、苦しさを感じるのです。
ですから、変化が当たり前、それも思い通りには変化しないというのを見切らない限り、苦しさは続くのです。
私もまた変化する
あと50年、寿命がありそうだと思われる人と、明日にも寿命を迎えそうな人にとって、1億円の価値の感じ方は違います。
あれだけ、自転車や、自動車が欲しかったのに、80代も後半になれば、住めるところと介護してくれる人を必要とします。
私たちの誰もが例外なく死に向って生きているプロセスの上に居る。
では、どのタイミングが本当の自分と言えるでしょうか?
もしかすると、どのタイミングも自分であり、その積分的なトータルが自分という答えを持つ人もいるでしょうね。
しかしもっと観察すれば、単なる生きたいという欲の感情が時間で変化しながら流れているに過ぎないのです。
変化し続けるその感情の流れのどこに自分がいるのか?
変化しているにもかかわらずある瞬間の感情を取り上げて、それを自分だと勘違いします。
変化し続けるのに、こうなって欲しいと期待するので苦しいわけですが、こうなって欲しいと願う現実も年齢応じて変化します。
そんな変化しまくっている流れにどれか自分だといえるものがないのが判ります。
これがありのままの観察です。ありのままを扱うのは、マインドフルネスを実践する上で必須です。
なぜなら、マインドフルネスで観察する対象である心もまた、変化し続けるからです。
その変化をありのままに観察するのです。
ありのままを観察できるようになれば、無駄に妄想する感情も働きません。
そのほうが脳にとって健全な活発化になります。
この記事でも取り上げている≪ オススメ本 | 無常の見方・苦の見方・無我の見方 ≫もぜひ、参考になさってみてください。