認知症症状を表面化させない親御様のメンタリティ

 もし、この記事を読んでくださるあなたが、年老いた親御様であるなら。もしくは、認知症の親御様に日々、心を通わせられる子の立場にあるなら、ぜひ、知って欲しいのです。

 たとえ、認知症を患っても、可能なところで勝負します。不可能なところは捨てます。そして、心は認知症に罹患しない、この事実が腑に落ちるように心、メンタリティを鍛えていくのが認知症を患った親御様の老後のあるべき姿です。

 介護する子の立場は、それを支援します。

もくじ

事故で下半身不随になったらどうしますか?

 若くして、交通事故で下半身が不随になって歩けなくなり、車いす生活を余儀なくされたとします。

 現実を受け入れるという言葉は、チープにしか聞こえないかもしれません。

 日々、悲しさを抱えるかもしれません。

 でも、そこから立ち上がろうと、懸命にリハビリに専念する方も多くいらっしゃいます。

 実際に、エックスのポストを見ていてもその様子を伺い知ります。

 多くの人が恐れる認知症も変わりはありません。

 短期記憶がおぼつかなくなる。

 日付も判らなくなる。

 トイレもひとりで行けなくなる。

 出来なくなることばかりが増えていくのが、認知症です。

 では、その認知症の病魔に襲われたままでいますか?

メンタルを鍛え直す

 私の実母は、強靭な精神力の持ち主でした。

 もちろん、若い時からそうだったわけではないらしいのですが、逆境にはかなりの強さがありました。亡くなった私の父の影響もあったようですから、今思えば、随分と力強い両親に育てられました。ただ、私自身は、まだまだで、両親の足元にも及びません。

 とはいえ、そのような実母も、認知症の病魔の前には苦戦を強いられました。

 気持ちが沈んだことも多々あったことと思います。

 それでも、介護のある実母との暮らしの中で、認知症症状が表面化しなくなった最も大事な要因は、実母自身が、心そのもので生きるようになっていったところです。

 心そのもので生きるというのは、欲や、怒りで人生をドライブしなくなっていったといっても良いでしょう。

 言いかえれば、手放していく生き方へのシフトです。

 それは、もちろん私が責任をもって介護するという信頼があってこそ、それが出来たわけですが、逆に言えば、しっかりと介護される、支えられる環境があれば、認知症は恐れるに足らず。

 欲や、怒りで老いをドライブしなくなるので、不必要に不安、恐れ、心配、怒り、憎しみに残りを人生を支配されなくなります。

 認知症を患った人への接し方でよく言われるのが、怒ってはいけないなどとよく耳にするはずです。他にも、安心感を与えるために目線を合わせて、笑顔で接するように、などとよく聞くはずです。

 これはとりもなおざず、認知症を患う親御様ご自身が欲や、怒りの感情で支配されないようにするためですから、より本質的には、手放していく生き方へのシフトそのものが求められています。

 このシフトを実現してもらうように、心を鍛え直す。

 これが、認知症症状を表面化させない親御様のメンタリティです。

成り行きを最大限に活かす

 喪失を愛する。

 これは次の書籍の帯にあるフレーズですが、名言だと思っています。

 私の実母の介護においても、当時はその渦中にあるのでよく判らなかったのですが、いま振り返ってみれば、まさにこの書籍に書かれている≪ 手放す ≫生き方そのものでした。

 欲と怒りがあれば、執着が生まれます。

 逆に、執着を手放せば、欲と怒りが薄まっていきます。

 例えば、私と実母の介護のある暮らしをスタートする際には、実母の住まいを始め、不必要なものはすべて処分し、3LDKマンションの6畳一間だけが実母のプライベートに必要な居住スペースに収まりました。

 それまでの近隣の縁もすべて終わりを迎えます。

 親子の縁ですら、終わりを迎えます。

 世間一般では、住み慣れた地域でとか、親子の縁を大事にとか、地域の交流を大切に、などと言われているかもしれませんが、異なるはずです。

 実際のところ、縁もしがらみも、苦しみになっていれば認知症には悪影響しかもたらしません。

 親子の関係でも、高齢者虐待が生じていれば、認知症は悪化するに決まっています。

 ですから、虐待などする子供からは、距離を保ち、縁すらも積極的に手放していくのは賢明な判断です。

 そうやって、手放して、手放して、手放して、最期は自分の身体さえも終止符を打ちます。

 老いは、手放していくプロセス。

 だから、短期記憶が上手くいかなくても、あまり問題にならなくなるのです。

 恐れれれば、恐れるほど、認知症は悪化します。認知症に限らず、病気、事故により身体の不自由さが増していくのが人生であり、老いです。

 もちろん、受け入れがたい現実です。ですから、いくつになっても綺麗でいたいなどと美容整形が流行るわけですが、70歳は、どう頑張っても70歳です。あと100年は生きませんし、どれだけ整形を頑張っても20代には戻れません。

 確かに昔は、若くて美しかったとしても、それに縛られているうちは本質を見極められません。そもそも、心は歳を取らないのです。

 だったら、昔に縛られてしまう心を解放する方が、より輝くと思いませんか?

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