親御様の介護ができる子と、出来ない子の差は、理性の有無という記事を紹介しました。
子は親の介護を厭います。それは、本能です。
逆に言えば、親御様の介護により、介護する子供は本能を超え、理性を育てるチャンスを掴みます。
実は、在宅介護は、介護をする子供に成長のチャンスがあるのです。
ですから、親御様への介護の主役は、介護する子供です。
いざ、親御様の介護となった時、子が尻込みするのであれば、理性の伸びしろに気づくチャンスです。
私が、≪ 在宅介護はお金を支払ってでもやった方がよい経験 ≫という見解に至るのも、ここに価値を見出しているためです。
岳母亡きあとも、自らの誇りとして、力強く生きる原動力があります。
それは、≪ 介護の心配はしなくて大丈夫です ≫と、臆することなく、ためらうことなく、生前の岳母に伝えられた自らの姿勢です。
理性は育てるもの
ほとんどの人が、≪ 理性 ≫を育てながら成長します。
同時に、理性を働かせない時に問題を起こしているはずです。
いわゆる、痛い目を見る時も、その前に理性的な判断ではなく、本能的に行動していた原因を発見できるはずです。
例えば、自己保身のために嘘をつくと結果はどうなるか。
それは、判りきっています。
しかし、嘘は絶えないですね。自分自身を見つめてみれば、絶対に嘘をつかないというのは、理性がかなり育っていないとできないアクションです。
嘘という、誰でも知っている言葉にフォーカスして、絶対にしないと決めてみてください。
高いハードルを感じるはずです。
逆境がチャンス
逆境を簡単に定義すると、自分にとって不都合な現実です。
ご経験がなければ想像してみてください。
ある日、突然、親御様が認知症になったとしましょう。親御様の介護の問題が突然、ドーンと自分の目の前に重しが降ってきたかのような感覚になるはずです。
しかし、誰でも年齢を重ね、病を患い、死んでいきます。例外のない事実です。
うちの親に限っては元気だから、まだ大丈夫だと思っていたはずです。でも、その見解は客観的でしょうか?
元気でも、老いと病は静かに進行していると観察するのが客観的なものの見方です。
この客観的な見方が出来れば、柔軟性のあるライフ・プランはどういうものかと考えておくのが理性的な判断になります。
予期せぬ出来事に、理性で柔軟性をもって対処対応する。これができれば、逆境はチャンスに変わります。
逆に、人生を固定的に考えていると、変化する状況に柔軟に対応できなくなります。
お時間があれば、以下の記事をご参照ください。
良い学校を出て、良い会社に入って、長期住宅ローンを組んで、退職金と年金をあてにするようなライフプランしか持ち合わせていないとなれば、親御様が助けを必要としたときにどうしますか?
おそらく、年老いた親御様の介護なんか重荷でしかなく、逃げるでしょう。
夢や希望を叶えるのが理想的な人生と思い込んでいると、事実を見失います。
事実とは、自分とパートナーのそれぞれのご両親がご健在だとすれば、高齢化社会では、マックスで4人の介護が必要になります。
この介護を率先して引き受けると心に決めておくか、それとも無視するか。
この選択にしても、人生の柔軟性が求められます。
無視すれば、自分の思い通りに歩みたいと願った人生プランに、やがて縛られ身動きが出来なくなります。
人生は、親御様の介護に限らず、不測の事態の連続なのを忘れるわけにはいきません。
逃げないと決める
≪ 理性 ≫の成長カリキュラムが用意されていて、その一歩目を履修するのが在宅介護の現場です。
私は、最初からそのことが判っていたわけではありませんが、認知症を抱えた実母の介護を完遂した結果、明確に理解しました。
認知症を患って、もっとも苦しんだのは、実母に違いありません。
しかし、その苦しみを微塵も出さずに、私を信頼し、介護をさせ、共に生活を営む中で、ナチュラルに理性を鍛えてくれたのは間違いなく、実母です。
一方で、仕事を理由に、子育てを理由に、なにがしかを理由に、親御様の介護から逃げるのも自由です。
私には、きょうだいが上に複数います。
しかし、実母のケアが必要になったとたん、逃げてしまって音沙汰なし。
親御様の介護が必要になったとたん、実の子供さえ逃げてしまうのが普通なのをよく熟知しています。
ですから、親御様の介護から逃げる人の思考や、心理が丸わかりなのも、私のきょうだいを十二分に観察させてもらっていますから、もう手に取るようです。
そして、逃げた人の人生の結果は、決まっています。
悪い。
逆境からは、決して逃げないことをお勧めするのと、逃げないと決めた意志には、その意志に沿った乗り越える道が出来てきます。
私は、その意志を100%、応援しています。
共に頑張っていきましょう。そして、乗り越えていきましょう。
年老いた親御様の介護から逃げてしまう行為ほど、その後の人生は、計り知れない損失を招きます。
嘘だと思われるのなら、ぜひやってみると良いと思います。
そして、取り返しがつかないことも合わせてお伝えしておきます。
私のきょうだいのみならず、周囲を観察してもびっくりするぐらい似たような残念な状況を招きます。
多くの人は、この理由さえも判らないまま、人生を終えていきます。
それは、理性の成長がそこで終わり、本能の支配から逃れられない人生を歩むためです。
本能の支配から逃れられない生き方は、苦しみしかありません。
年老いた親御様の介護から逃げる人は、これが判るようにならないので、残念なのです。