死が本能の無能さを教える

 岳母が、≪ 介護で子供には迷惑をかけたくない。 ≫、と少し弱気の発言をされた時のことです。

 すかさず、私は、≪ 遠慮なく、堂々と介護されてください。 ≫と伝えました。岳母は、安堵された表情を浮かべていたのを思い出します。

 そもそも、親御様が堂々と介護される態度をとるべきなのは、実母が教えてくれました。

 遠慮などせず、堂々と私に介護をさせました。

 介護をさせるといっても、必要最低限です。必要最低限で構わないから、私に実の親の介護の責任を全うさせようという考えがあったようです。

 一方で、実母自身は、人生を全うする責任をもって死に向かっていきました。死に向う責任というのは、≪ もう死にますから、これまでありがとう。幸せになりなさい。 ≫という境地への到達です。

 多くの人は、死を避けたがります。しかし、実母は、死を当たり前のものとして人生を構築する姿勢を示してくれました。

 実母は、堂々と最期を迎えていく姿を私に学ばせました。だから、堂々と私に介護をさせたのです。

 親が子に堂々と介護をさせるというのは、あるべき在宅介護の姿なのです。

もくじ

親の介護にガックリするわけ

 本能的に、子は親の介護を厭うという記事をいくつか挙げています。

 では、この本能というのは、何か?

 ここで一緒に、学んでみたいと思います。

 本能とは、生きる原動力、生きたい衝動と言えるものですが、性質は、求める力であり、正体は得ようとする感情です。

 親の介護をやるとなると、介護をする人は自分のやりたいことが出来なくなると考えます。

 得たい結果、得たい夢、得たい目的、得たい出会い、得たい仕事、得たい旅、得たい愛情、得たい年収、得たいカネ、得たいパートナー、得たい家族、得たい地位、得たい名誉、得たい権力・・・・・まったくキリがないですね。私自身にも言えなくもないのですが・・・。

 このキリがない生きたい衝動で生きるのが、多くの人は当然の権利のように思っています。

 そのため、親の介護で、自分の生きたい衝動が抑え込まれるなんて、まっぴらごめん。

 なので、親の介護に直面するとガックリするわけです。

本能の奴隷

 親の介護と聞くと、この≪ 得よう ≫とする感情を、全て抑え込まれるかのように思いがちです。

 自由が無くなるかのようにも思うはずです。

 認知症を患った親の介護となると、介護する人の自分の思い通りに生きたい衝動が極端に制限されるため、その衝動は怒りに代わる場合も多々あります。

 怒りの矛先は親に向かいます。

 例えば、親に対して、早く死んでほしいと思ったりもするはずです。

 エスカレートすれば、暴力。さらにエスカレートすれば、殺害します。

 他にも、年老いていく親の姿に落胆したり、情けない思いを抱いたりします。

 また、年老いた親を誰かに押し付けて、逃げようともします。

 でも、このように思う人は、本能に支配されているのに気づきません。

 介護で自由がなくなるかのような考えをしますが、そもそも本能の奴隷です。

 これに気づかないうちは、本当の自由を知らないままに、その子も死んでいきます。

死が本能の無能さを教える

 本能の奴隷を好み、本能の奴隷のまま人生を終える人も多いです。

 しかし、本能の奴隷のままでいると、死がとても恐怖でしかありません。

 いま、死が自分とは関係のない遠い未来の他人事のようにしか思えなかったり、死への恐怖を感じるのも、それは本能のままに生きているからに他なりません。

 本能は、生きたい衝動です。

 しかし、その裏の顔は、死にたくない願望です。

 生きたい衝動が強ければ、死にたくない願望も強いです。

 ですから、本能は死を遠ざけよう、遠ざけようと、ものすごい勢いで人生をドライブします。

 その一例を紹介しましょう。

 老後が心配で、カネさえあればどうにかなると思って、オレオレ詐欺に加担した20代女性が捕まる報道がなされるのも、本能に呑み込まれたままに生きている結果です。

 この事件は、とてもシンボリックです。

 しかし、事件にならなくても、社内で生き残りをかけて、お互いに同僚の足を引っ張りまくるのも、本質はこの事件と何も変わりがありません。

 なので、生きるという衝動のままに生きるのが、どれほど危険で、非人間的で、そして情けない行為しか生まないのか。

 私自身もそうですが、自らを振り返り、そして世の中を見渡せば、ほぼその現象しか目に映らないはずです。

 前述しましたが、本能の奴隷のまま、それに気づかないで人生を終える人のほうが大多数です。

 しかし、もし、本当の自由を求めているならば、まず、本能による奴隷状態から目を覚まし、自らを本能から解放するのが先決です。

 そのためには、まず最初に≪  ≫を学びます。

 なぜなら、≪  ≫は、本能がもっとも嫌うサブジェクトです。

 同時に、≪  ≫は、本能の無能さを知るための最高のコンテンツです。

 そして、その履修カリキュラムの最高峰のひとつが、多くの人が嫌い、避けたいと思っている親御様の在宅介護です。

 だからこそ、私は、しっかりと完遂されるのをお勧めしています。

 親御様は自らの最期への歩みを通じて、介護に責任を持つ人に、本能の無能さをレクチャーしてくれます。

 その学びは、本当の自由への切符です。

 結婚すれば、マックス4名の親御様の介護が待ち受けています。

 このような書き方をすると、おそらく介護未経験の人は、ガックリするかもしれません。

 でも、親御様の介護をする価値をマスターしている人は、ウエルカムな境地に立っています。

 なぜ、ガックリするのか、もしくは、ウエルカムな境地に立てるのか?

 結論から言えば、その差は、死を認め、本能の無能さを理解しているか否かの違いです。

 親御様は、介護する子に対して、それこそ命を懸けて本能の無能さをレクチャーしてくれています。

 出来る範疇で良いので、しっかりと、在宅介護は頑張るべきです。

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