欲と怒りを抑える練習ーまず期待をやめる

 最近になって耳にする言葉のひとつに『アンガー・マネジメント』というのがあります。

 一般的には怒りを管理すると考えるようです。

 そもそも、怒りは生きる原動力です。

 もし、これが判らなければ、夏場に蚊を追いかけてみてください。

 それまで飛んでいたスピードをはるかに凌駕するスピードで逃げまわるはずです。

 ≪ 絶対に死んでたまるか! ≫

 この気持ちのベースとなる怒りの感情が、小さな蚊であってもあのスピードを生みます。

 これが理解できれば、怒りは生きる原動力というのが見えるはずです。

 そして、この怒りは、生まれてから最期を迎えるまでの生きる支える、とてつもなく大きなエネルギー源です。

 これをマネジメントするというのですから、一筋縄ではいきません。

 壮大なマネジメント思想が無いと完成は遠いのではないかと想像すべきです。

 ですから、ステップを踏んでいくのがベストです。

 岳母と私も、欲と怒りを手放す練習のため、そのステップを踏んでいきます。

もくじ

期待通りにならないので怒る

 まず、怒りはどんな時に生じるのか。

 判りやすい一例は、期待通りにならない時です。

 自分の思い通りにならないと、すぐキレる動画はわんさかとネット上に溢れている通りです。

 自分の思い通りになって欲しい期待の裏には、常に自分は正しいという考えもはびこっていたりもします。

 この現象は、子供にもよく見られる行動です。

 最近は、そんなわがままな子供の行動をたしなめると、その子の親が逆ギレしてきます。

 もはや、世の中のこの風潮はとまらないでしょうね。

 22世紀になって、21世紀を振返れば、大人になっても子供のままの時代と言われるかもしれませんね。

 自分は常に正しいのですから。

 自分は正しいのだから、思い通りになって当然だ。

 これを欲、と言います。

夢や期待や希望は成り立たない

 夢に向かって目標を掲げて努力をすれば、必ず夢は叶う。

 もし、そう信じているなら、なぜその夢を叶えたいのかをよく精査したほうが賢明です。

 仮に、ある夢を叶えたとしましょう。

 その夢の賞味期限を考えたことはありますか?

 例えば、オリンピックで金メダルを取るのが夢で、叶えたとします。

 その叶えた夢の気持ちは、叶えた時がピークではないですか?

 再び、その感動を味わいたいがために、大会二連覇を目指す。大会三連覇を目指す。

 しかし、やがて負ける時を迎えます。

 夢は叶えても、永遠には続きません。

 事業でも同じです。

 ある事業で成功を収めたとたん、コンペティターとの競争の幕開けです。

 これは苦しみの始まりだというのが想像できるでしょう。

 本当に夢を叶えるのが人生の目的であるのか否か。

 明日は、期待や希望通りになってきたのか否か。

 仮に夢も、期待も、希望も叶ったとして、永遠にその喜びが続いたのかどうか。

 自分の人生を振返れば答えは判るはずです。

子供に介護をしてもらいたい?

 実は、岳母は、自分の老後の面倒を看させたい子供がいました。

 ものすごく≪ 期待 ≫していました。

 老後は安心だと思っていたのでしょう。

 しかし、その子供は介護から逃げてしまいました。

 その落胆ぶりは、気の毒にさえ思えるものでした。

 しかし、そのよう経緯があるからこそですが、私と家内が岳母のお世話を担いました。

さくら

人に対する期待というのも成り立たないのですよ。

それが、実の子であっても、です。

岳母

一生懸命に子育てをしてきたのに、どうしてあの子は介護から逃げたのか・・・。

さくら

それは、ご自分の欲で子育てをしましたね。

つまり、子供に自分の期待をかけた。

それは奴隷化と一緒です。だから逃げ出します。

逃げ出すのは良いのです。親離れですから。

ただ、それは十代までの話です。いい年になったら覚悟を決めて介護ぐらいできる大人でないと信頼ができません。

また、子供が遅くとも18歳になるまでに、お母さんも子離れをしなかった。

親離れ、子離れが完了しないまま、ここまで来てしまったのですから、当然
言えば当然です。

よく考えてもみてください。

そもそも、子供は自分の思い通りになる対象ではありません。

岳母

・・・

さくら

そして、親離れ、子離れができなかったもう一段、深い理由があります。

先ほども言いましたが、子供にかけてしまった期待です。

期待は決して成り立たない。

にもかかわらず、期待をかけてしまうのは、お母さんご自身が生きたいという願望に駆られているためです。

子に介護をして欲しいと願うのは、如何に自分が楽に老後を苦労せずに安心して生きられるのかを考え抜いた結果ではないですか?

考え抜いたと言えばカッコいいかもしれません。

しかし、それは楽に生きたい願望に駆られ、死にたくないという怒りに駆られた心に支配されているがゆえに、それを子供への期待へと変え、子をがんじがらめにしてしまった。

だから、逃げ出してしまった。

これまで、この実態に気づいていないというのが理解できると思います。

岳母

黙るしかないわね・・・。

さくら

でも、今をよく観察してみてください。

お母さんには3年前ですらまったく予想も出来なかった義理の息子である私が介護をかってでています。

お母さんは運がいいのではないですか!?(笑)

つまり、未来は期待通りにはならないというのが、今を観察してもよく判るはずです。

そして、期待以上の結果も待ち受けている。

岳母

おっしゃる通りよ。感謝しています。

期待しなくても、期待以上の今があるというのを目の当たりにしているわ。

期待通りにならないというのは事実だし、だからといって決してマイナスなイメージではないということね。

さくら

その通りです!

期待以上の未来もまた拓けていきます。

ですから、期待はそもそも生きる上で邪魔なのです。

 本当の一流の人は、明日に期待をしていません。

 そうではなく、今日にベストを尽くしています。

 ですから結果として、期待以上の明日を生きています。

 では、今日にベストを尽くすうえで、何をすればよいのか。

 ですから、常にこのウエブサイトでは伝えさせてもらっていますよね!

 もし、年老いた親御様の在宅介護をする機会が巡ってきたら、それはチャンスだと。

 そこにベストを尽くしてください。

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