未来に、そして将来に期待すればするほど、期待通りにならない現実に落胆します。
年齢を重ねるほど、期待通りの将来にはなっていきません。
年齢を重ねるほど、最期が近づいているのです。
にもかかわらず、最期の日時を超えた期待は成り立たないですよね。
その最期の日時だって、明後日かもしれません。
もしかすると、明日かもしれません。
ですから、年齢を重ねるほど、期待は成り立たない。
それは、明日が最期かもしれないのに明後日を計画しても意味ないからです。
つまり、死を直視した人だけが、将来の期待が≪ 成り立たない ≫事実を理解します。
期待が成立たないから怒りが生じません
怒りは、その正体を知らないうちは、期待通りにならない現実に直面すると烈火の炎のごとく燃え上がります。
というよりも、死ぬまで怒りの正体を知ろうともせず、自分は正しいのになぜ期待通りにならないのか?、といった疑問に苛まれて一生を終えるでしょう。
そもそも、近未来さえも期待通りになるはずという前提には、常に≪自分は正しい≫という気づきもしない心があります。
よくエゴという言葉で表しますね。
最近では、≪ 自分らしく生きる ≫、なんていうフレーズも頻繁に使われます。
私も若い頃は、このフレーズをよく使っていましたから、今思えば、お恥ずかしい限りです。
そもそも、その自分と称している本人さえも常に変化しているのですから、昨日はこういう風に生きたけれども、今日はこういう風に生きていると、全然違うわけです。
ですから、自分は正しいと思ってその時はそういう判断をしたけれども、次の日には変わっている。
昨日は、それが正しいと思っていたけれども、今日になったらやっぱりそれは間違っていたなんていうのはよくあることです。
ですから、明日が思い通りになるというのは、思い上がりもいいところです。
ところが、どうしても期待通りの未来にしたいという人は、実に多いです。
ですから、願望実現とか、夢を叶える、といったフレーズはいまなお人気があります。
しかし、死を直視できる人は、未来を期待通りにはできないことをよく知っています。
在宅介護のアンガーマネジメント
これまでも最期についての記事はいくつも投稿してきました。
これを基礎にできるから、期待が成立たない事実を知ります。
そして、だからこそ、明日に期待をしないから、怒りを抑えられるのです。
これが、本当のアンガーマネジメント。
その出発点が、最期を知るところなのです。
では、なぜ、在宅介護にアンガーマネジメントが必須なのか?
しかも、それは在宅でお世話を受ける親にも、お世話をする子にもマストです。
まず、在宅で介護される親御様にとっては、ご自身にとって不必要な病を遠ざけるためです。
また、お世話をする子にとっては、親御様をコントロールしようとせず、親御様と最期まで健やかに一緒に過ごしていくためです。
心が人生を創造する
以前に投稿した記事で紹介ましたが、心が人生を創造します。
ということは、病もまた心が作ります。
物質が原因で病になるとよく言われます。
煙草を吸うと肺がんになるというのは、耳にします。
でも、ヘビースモーカーの全員が肺がんになるとは限りません。
確率という言葉は適切ではありませんが、それが似たような問題なのも、心が病を作るからです。
ところが、現代医学のアプローチは、まだまだ心の領域を取り扱いきれていないのも現実です。
例えば、正常な細胞が生まれては死んでいくプロセス、アポトーシスがあります。
寿命を迎えた肉体は腐りはしますが、アポトーシスは、生じないですね。
寿命が尽きたに人は、心が生じないのですから、細胞の正常な生まれ変わりもそこでとまります。
この観察だけでも、心が肉体の生命維持に深く関わっているのが理解できます。
このような観察ができるようになると、正常な心のあり様であれば病気を遠ざけられそうだ、という推察も容易に到達できる視点です。
逆に、異常な心のあり様であれば、身体も異常をきたします。
親御様にはできるだけ、病を遠ざけた生活をしてくれれば、介護する子の負担も最小限で済むというものです。
ですから、欲と怒りを抑える練習は親子でマストです。
それは、欲と怒りに呑み込まれた異常な心のあり様に陥らず、親子にとって在宅介護のチャンスを最大限に享受するためでもあります。
在宅介護は、最期を直視し、最期を学び、最期を超えていけるチャンスです。
在宅介護に限りません、アンガーマネジメントの出発点は、最期を直視できるかどうかにかかっています。
しかし、言葉で書くほど簡単ではないです。本当に死に直面すると、自らの無力さ、馬鹿さ加減、ありとあらゆる無能さに打ちのめされ、立ちあがることさえできなくなります。
呼吸さえも辛く苦しくなります。
でも、それを出発点できるかどうか。
例えば、それこそ全ての力を使い果たして、大切な人の命を救おうとした経験があれば、その出発点に立てるかもしれません。
だから、在宅介護は、そのチャンスであり、全力で取り組む価値がそこにあります。