年老いた親御様の介護やお世話を話題にするとき、親の老いや病へのケアについて情報を発信しているサイトを非常に多く見受けます。
その多くは、すでに親御様が認知症をはじめ、すでに病に罹患しているケースです。一方で、如何にして年老いた親御様の健康状態、生活状況を良好に保つように支援するか。
このテーマを中心に掲げた情報の発信を見受けるのは少ないように見受けます。
私は、三度目となる岳母の介護では、どのようにして病を遠ざけ、生活状況を良好に保つのかに注力をおきました。
結果として、いわゆる世の中のインフラ的に提供されている介護サービスとしては、病院での入院生活を除き、岳母が亡くなる2週間程度のみ最小限の訪問医療、訪問看護の提供を受けるにとどまりました。
合わせて、岳母は認知症を患わずにすみました。
私は、自らのこの取組を≪ 介護を必要としない介護 ≫と称して、3度にわたる在宅介護経験の集大成としてまとめています。
なぜ在宅介護は負担なのか
そもそも、子は本能的に親の介護を疎ましいと思います。
以下の記事でも詳しく触れていますが、生命として、本能的、遺伝子的にそうなっています。
これは、生命として、そもそも変えられない性質ですが、人間は、理性を使ってそのマイナス的な性質を乗り越えていくところが、他の生命との違いです。そこに、人間として生きる意味があります。
ですので、生命のあり様としての負担が、親の介護を担う子にのしかかっているのが在宅介護のスタートラインです。
その上に、物理的、肉体的、精神的、経済的に負担が生じる側面があります。
説明を続けていきましょう。
親の認知症が介護の始まり?
年老いた親御様への心配が視野に入ってくる40代、50代といった年代の人にとって、在宅介護とは、親が老いて、例えば認知症でも患ったら考えればよいと思いがちです。
この考えでいると、親も、子も、老いと病のプログレスが生活への負担として重くのしかかります。
私も、初めての介護経験となる実母の介護では、それに近い状況と状態でした。
しかし、三度目の介護となる岳母の介護では、それまでの介護アプローチを大きく変えました。
それが、≪ 介護を必要としない介護 ≫の実践です。
このアプローチの基本は、実は、以前の記事でも紹介していました。
この記事にもありますが、次の5つのステップを親と子で実践し、それを生活の基盤にします。
- 愛着を手放し、親離れ、子離れを完了する。
- 有終の美を飾る。そのためには身体への愛着も手放し、死を直視する。
- 直視した死と、今ある生との差分により「心」は浮かび上がり詳らかになる事実を確認する。
- 「心」とは、何かを観察できるようになる。
- 心へのフォーカスと、親子の間で心を通わせるコミュニケーションができる関係をつくる。
心への重視が≪ 介護を必要としない介護 ≫の実践
在宅介護・事始めにある5つのステップの中心にあるのは、≪ 心 ≫です。
なぜ、年老いた親御様の在宅介護で≪ 心 ≫を重視するのか。
それは、人を身体と心に分けて観察する時、人生を切り拓く源泉は心と身体のどちらにあるのか。
その答えが、≪ 心 ≫だからです。
人を身体と心に分けて観察するというのが判りにくければ、心と身体の主従関係で観察しても良いでしょう。
脳が人生を司っていると考える人もいらっしゃるかもしれませんが、脳も身体の一部です。
心が無ければ、脳も動きません。
ですから、心を強く逞しく成長させるのがどれだけ重要か。
その結果として、親御様は病を遠ざけ、生活状況を良好に保てるようになる。
親と子で、心を強く逞しく成長させる取り組みを在宅介護に落とし込んでいるのが、私がお伝えしている≪ 介護を必要としない介護 ≫なのです。
そして、この実践は、世の中にある医療サービス、介護サービスで提供されるものではありません。
親と子の在宅介護の現場でのみ、実践が可能なものです。
なぜなら、年老いた親御様が認知症を患ったとします。
医療サービスや、介護サービスに従事するスタッフは、認知症を患った一人のご老人としてしか接しません。
一方で、認知症を患ったひとりの人が、父親、もしくは母親として接することができるのは、介護を担う子しかできません。
この関係性がなければ、≪ 介護を必要としない介護 ≫は成り立たず、5つのステップは始まらないのです。
私にとって3度目となりますが、岳母の在宅介護で≪ 介護を必要としない介護 ≫のアプローチを集大成として完遂できたのも、基礎にあるのは、最初の在宅介護である実母の認知症がきっかけです。
私の経験上、年老いた親が認知症さえ罹患しなければ、在宅での介護負担はそれほど大きいものではありません。
そのため、どうしていたら、実母が認知症にならないですんだのかを振返らなかった日は無かったです。
また、実母の在宅介護では、認知症への観察も介護実践を通じて、24時間、365日ですから、知見が溜まっていきました。
その結果として、認知症は不治であるが、症状を表面化させない取組により介護負担を低減する実践も可能にしていきました。それも追って、当サイトにて紹介してまいります。