認知症を斬るー安心してトイレができるー

 認知症を患った実母の在宅介護で、トイレ介助をさせて欲しいとお願いしたところが信頼関係を構築する上でのスタートです。

 これは、単にメタファーです。というのも、例えば、二世帯住宅で長年、生活を営んでいても、トイレ介助は絶対にさせたくない、したくない人間関係だってあるのです。むしろ、そのほうが多く、近くに住んでいたとしても在宅介護はままならないなんてザラです。

 逆に言えば、トイレ介助の成功の可否が、在宅介護を上手くやっていけるのか、それとも出来なくなるのかの分水嶺といっても過言ではありません。

 いまでこそ、私もトイレ介助を語ってしまうほどナチュラルに出来ますが、実母への初めてのトイレ介助はハードルがあったのをよく覚えています。地域包括センターに詰めているスタッフに相談にも行ったぐらいですから。

ご注意
このウエブサイトで取り扱う認知症について
 あくまでも、私の在宅介護経験による観察、知見、そして介護実践での話であり、科学的、医学的な学術的アプローチにまで昇華できず、証拠、エビデンスがあるわけでありません。そのため、日本のある家庭で行われた年老いた親の在宅介護の状況として、私の主観に基づいて解説が加えられた認知症に対する日々の介護アプローチとして捉えてください。この情報をもって、認知症が治るだとか、認知症の介護が楽になるといった利益は決してもたらされないことをご理解の上、このウエブサイトの情報をご活用ください。

もくじ

約束を守るから信頼が生まれる

 アルツハイマー型認知症を患った実母の在宅介護では、介護しやすいように、また経済的にも破綻しないように住まいを売却し、バリアフリーの賃貸へと引っ越しました。

 よく住み慣れた場所で最期を迎えるのがいい、なんて聞きます。しかし、引越ししたのは実母が認知症の診断を受けてからですし、生活と介護がうまくかみ合うまで1か月程度の時間は要しましたが、引っ越しは全く悪影響しません。

 むしろ、扉も開けておいてワンフロア―に近い形にしておくと、お互いがお互いに視界に入りやすい距離なので、とても安心です。在宅介護では、一緒に生活する環境は非常に重要だと考えています。そのキーポイントは、≪ 安心感 ≫。

 というのも、認知症を患った実母からみれば、何かしら困った時に私を探さなくてよいのです。

 例えば、寝巻から日常着に着替える時に、下着を穿くというアクションがあったとすれば、その下着がどこにあるのかという課題は認知症を患った実母にとっては非常にハードルが高いのです。

 そこへ、いつでも私が傍にいるとなれば、すぐに尋ねることができます。

 これにより不穏といった認知症症状を極端に露呈する事態を避けられます。

 私にとっては、実母の見守りに24/7で拘束されるわけですが、不穏がエスカレートして認知症症状が進行する方がよほど困りますからね。認知症症状の進行についても、いずれ機会をみて、言及していきます。

安心感を基礎にしたトイレ介助

 トイレ介助についても、同様です。

 まず、認知症を患った実母とは、小便でも、大便でも、トイレに行きたくなったら、私が寝ていても起こして構わないと約束しました。

 約束した以上、夜中に起こされても一度も、文句を言ったりしません。

 必ず、起きて実母のトイレは見守りと介助をしました。

 これは、認知症を患った実母が、どのような行動をするにせよ≪ 安心感 ≫をもってもらうためです。

 このトイレ介助であれば、まずトイレの場所を探すという行動の必要性をなくします。

 探さなくて済むので、≪ 安心感 ≫という心の状態を生起させたうえで、私と一緒にトイレに行く。

 こうすると不思議なもので、自分でも自然にトイレの場所を覚え、行けるようになります。

 ご存じない人も多いかもしれませんが、忘れない記憶は常に感情とセットです。

 これが認知症を患っていながら、引越ししても問題は生じない理由です。

 忘れない記憶と感情の話もまた別の機会に言及していきます。

 さて、先の記事で、トイレを完遂するプロセスを20個の子プロセスに分析しました。

 これら20個の子プロセスが走る前から、その子プロセスが順調に流れていくために、≪ 安心感 ≫という布石をしておくのです。

 だから、誰だって人の手なんか借りたくないトイレ行動に対して、他の人による支援の介入ができるようになります。

 排泄が終わったら、自分でも水を流せるように工夫しました。

 この記事のサムネイル画像にあるように、実母が押してよいスイッチには、必ず≪  ≫をかたどった目印が貼ってあります。

 トイレの水洗に限りません。

 室内の灯りのスイッチにも蝶の目印を貼りました。実は、これを≪ 可愛い! ≫と喜んでくれ、その感情をキーポイントに記憶を促し、自分で目的を理解したスイッチングを可能にしていきました。

 また、大便の時は、時々、扉を開けて、様子を伺いました。ウォシュレットの操作をしてさしあげて、汚れも拭いて清潔を保ったら、私の介助が終わった旨を声掛けしてあげます。その上で、実母は立ち上がり、リハパンを自分で穿くという一連のトイレ介助作業の流れができます。

記憶への支援

 今日は、何月何日か?

 健常者であれば、普通に答えられますが、認知症を患うとそうはいきません。

 認知症を患うとよく短期記憶が出来なくなると言われますが、実際にそうです。

 では、今日は、何月何日であるのか?

 仕事をしていたり、締切りがあったり、人と会う約束があったりすれば、重要な情報です。

 では、在宅介護が必要になるようなご年配の方々にとってはどうでしょうか?

 実は、重要性はそれほどなくなります。

 認知症を患った実母の在宅介護では、日時のスケジューリングなどは、介護する私が把握しておけばよい話で、実母にはその都度、予定を話をして気持ちの準備だけを促す形にしていました。

 季節が、春だろうと、夏だろうと、あまり意味はありません。

 認知症を患うと季節が判らなくなるといったこともクローズアップして取り上げられますが、その認知が生活にどの程度影響するのか?

 私の在宅介護では、季節感のある食事や、装いは当然のように気を配りましたが、その認知を確かめなくても生活への影響は全くありません。

 認知症を患うと、何も判らなくなるような記事も目にします。

 確かに、進行すればそのように見受けられるケースもありますが、判っているところは十二分に理解をし、新しいチャレンジも可能です。実母にとってみれば、認知症を患ってからの新天地への引越しもチャレンジですし、上述のトイレ介助にしても、息子の私と一緒にトイレを済ませるようになるとは思いもしていなかったはずです。

 私の在宅介護では、判るところや、チャレンジを支援すると同時に、判らないところは判らないとして、生活に影響なければ一切、切り捨てていきました。

 実母の在宅介護では、認知症を患った当初は、認知症のあらゆる症状を露呈しました。

 これは認知症を患った親御様を在宅介護する多くの人が経験されると思います。そのため介護認定もすぐに要介護3のスタートとなりました。

 しかし、実母と私の在宅介護生活が長くなるにつれ、当時のケアマネさんからは、「このままいくと要介護1になるかもね。」と言われるほどでした。表面的には認知症を患っているとは思えない健康状態を最期まで維持し続けました。

 これは当たり前と言えば当たり前なのですが、まず≪ 安心感 ≫を基礎にして、出来るところ、出来ないところ、その境界を気づき、出来るところは自立を支援し、出来ないところをどう支援するのかに頭を使いました。また、出来ないところでも、生活に影響しないところはすべて切り捨てです。上述の日付が良い例です。

 そのため、実母にしてみれば、出来るところだけで日常生活が送れるので、認知症症状を滅多に露呈しなくなります。

 不穏になると、認知症を患っている本人も苦しいのです。ですから、それに陥らないだけでも、生活は快適です。このこともいずれ詳しく言及していきます。

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