認知症を斬るー認知症と薬物中毒ー

 薬物中毒者も、認知症と似たような症状を呈すると聞きます。

 当たり前ですが、脳が委縮するためです。

 私は、実母の認知症の検査で、認知症によって脳が委縮しているというドクターの説明を聞いた時、薬物中毒者の脳の萎縮と何が違うのかと、非常に興味をもちました。

 まず、そもそもなぜ、薬物中毒になると脳が委縮するのか?

 この疑問は、今では、ネットを調べるだけでなく、AIに聞いてもその答えを詳細に教えてくれるので割愛します。

 そうすると、問題は、脳が委縮するのを判っていながら、なぜ薬物を摂取したいのか。

 ここが重要ポイントで、この疑問を解決しない限り、脳の萎縮は防げません。

 実はこれ、理屈ではありません。

 答えは、心が刺激を求めるからです。

 もっといえば、心とは、常に刺激を求め続けている機能群というのが、その正体なのです。

 刺激を求める心に、脳も含め、身体が支配されます。脳も身体の一部ですからね。

 ですから、心が刺激を求め続ける結果、ドラッグがそれを叶えると判ると、過度な刺激、強度な興奮、日常では得られないようなエクスタシーをもっと、もっとと要求するようになり、薬物から抜け出せなくなります。

 結果、老化現象にもみられる脳の萎縮をものすごいスピードで加速させ(オーバーヒートさせ)、廃人になります。

 しかし、薬物を摂取しなくても、極度の不安、もしくは興奮に苛まれるような環境に置かれ続ける日常でも、脳の萎縮は認められるようになります。

 結果、そのような環境に置かれ続けると、認知症のリスクは高まります。逆に言えば、認知症予防は、不安、興奮といった刺激を受け続ける環境を避けるか、もし受けたとしてもその感情に呑み込まれない力を身に着けるところにある、というのが私の見解であり、仮説なのです。

ご注意
このウエブサイトで取り扱う認知症について
 あくまでも、私の在宅介護経験による観察、知見、そして介護実践での話であり、科学的、医学的な学術的アプローチにまで昇華できず、証拠、エビデンスがあるわけでありません。そのため、日本のある家庭で行われた年老いた親の在宅介護の状況として、私の主観に基づいて解説が加えられた認知症に対する日々の介護アプローチとして捉えてください。この情報をもって、認知症が治るだとか、認知症の介護が楽になるといった利益は決してもたらされないことをご理解の上、このウエブサイトの情報をご活用ください。

もくじ

刺激を求めるのが心の機能

 名指しは避けますが、食レポで一世を風靡する勢いのあった芸人さんが、不倫や不適切な行為に至ったところ週刊誌に報道され、干されてしまったという出来事が、かつてありました。

 そもそも、食レポというのをテレビで見ますが、バカバカしさの極みです。

 よく美味しさを求めて、あのレストラン、このお寿司屋さんと、多くの人が紹介する情報が溢れていますね。

 では、その≪ 美味しい! ≫という感情は、どのようにして心に生じているのか。

 考えたことありますか?

 答えは、単なる≪ 妄想 ≫です。

 よく観察すれば判りますが、お好きなお肉でも、果物でも、適量をひとつ、口に運んでみてください。

1回目の咀嚼で感じる味覚。
2回目の咀嚼で感じる味覚。
3回目の咀嚼で感じる味覚。
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20回目の咀嚼で感じる味覚。
30回目の咀嚼で感じる味覚。

 ここで、咀嚼のたびに味覚はすべて異なることに気がつくはずです。

 では、お好きなお肉を口に運んだとして、何回目の咀嚼で感じる味覚が美味しいのですか?

 という質問には、普通に暮らしている程度では答えられませんね。

 つまり、適当な回数を咀嚼して、感じる味覚をテキトーに妄想で統合・総合して、≪ 美味しい! ≫と言葉にしているのが普通の人です。

 つまり、美味しいと語るその言葉は、味覚を正確に表していないのです。

 前の記事でも触れましたね。

 桜の≪ 綺麗 ≫を心が感じるに至るバックグラウンドです。

 そこへ、あ~でもない、こ~でもないとテキトーな能書きを加えて、偉そうにウンチクを語っているのが食レポです。

 ちなみに、お肉を味付け無しで、口に運んで、咀嚼してみてください。

 咀嚼するほど、苦みしか観察できなくなります。

 だから、さまざまな味付けをして、食材に刺激を含ませ、心がその刺激を求めるようにしむけ、余計に食わせるわけです。

刺激を求めるから失敗する

 食をきっかけにするのは一例ですが、より美味しいものを求め続けていくと、味覚だけでなく、その他の感覚も自分都合の好ましい刺激を求めるようになります。

 刺激を求める心のエスカレーションであり、薬物に手を出す人の心と同じです。

 上述の食レポが得意だった芸人さんが良い例です。

 どうなったかまでは書きませんが、結果は多くの人が知るところとなったわけです。

 また、ドラッグも五感を同時に快楽へと導く作用をもたらし、それを乱用する人の心は、より持続的で過激な刺激を求めるようになります。

 結果として、廃人です。

 つまり、刺激を求めつづける生活習慣は、人を失敗に導くというのが道理なのです。

刺激を求めず、刺激を避け、刺激がわずらわしくなるように

 ≪ 美味しい! ≫と感じるその感覚が、実は妄想だと見破ってしまうと、自分のこれまでの馬鹿さ加減にうんざりします。

 実際にお肉を咀嚼すると苦みしかないのに、それを味付けで刺激を含ませ、求めさせ、美味しいと妄想させられてきた・・・。

 なんてマヌケだったのかと、反省しかなくなります。

 これが、超一流のレストランで提供される食事であり、多額の金銭を支払わせます。

 味覚とは何かを判っていると、そこにはバカバカしさしかありません。

 とはいえ、あまりこのようなことを前面に打ち出して人付き合いすると、嫌われます。

 なので、日常は折り合いをつけるしかありませんが・・・(笑)。

 他にも、この世界にカッコいい男性や、美しい女性は存在しません。

 どれだけ素敵な人でも、皮膚を一枚、ビロンとめくってみたところ想像してみてください。

 誰もが例外なく、かつて学校の理科室にあった血管が浮き出た人体模型と似たようなものがあらわれるはずです。

 大腸に至っては、これも誰もが例外なく、いまこの瞬間も便を作り、蓄えつつ、歩いています。

 これが人間ですが、そんな状態の我々なのに、カッコいいとか、美しいと思う人がいるでしょうか?

 つまり、カッコよさだとか、美しいというのは、上っ面だけを見て、妄想しているだけなのです。

 そして、この理解が、認知症を予防していく初めの一歩です。

 それは、妄想で生きるのではなく、事実を直視して生きる。

 ありのままを観察して、妄想を抑える生き方に変えていきます。

 事実を認め、刺激を求めないので、脳が老いませんし、委縮しません。

 妄想によって、脳がオーバーヒートするのを避けます。

 例えば、お肉を咀嚼すると苦みがある、という事実を観察する生き方です。

 味付けは、所詮、刺激を誘導するためのまやかしであって、好みの刺激を求め、妄想に呑み込まれるのはバカバカしいと理解する。

 これは、刺激を求めず、刺激を避け、やがては刺激がわずらしくなるような生き方です。

 これが、心の安穏です。

 ですから、無駄に脳がオーバーヒートせず、委縮せず、認知症とは無縁となる、というのが私の個人的な見解であり、仮説なのです。

 事実を観察できるようになると、妄想に駆られて生きていた頃とは比較にならないぐらい、心は落ち着きを得ます。

 これは、認知症予防に限らず、人生を切り拓いていく上でとても重要です。

 落ち着きのない心で、良い人生を歩めるわけないですよね。落ち着きのない心が毎日であれば、誰でも心はますます病んでいきます。

 でも、夢や目標を持てというのが正しいと洗脳されているはずです。夢や目標を糧にといえば聞こえは良いですが、それらは単なる刺激です。

 だから、いつまでたっても夢や目標は手にできずに幸せを感じません。

 そもそも立ち位置が違うのです。夢や目標を叶えた先に幸せがあるわけではないのです。

 実際に、認知症の親御様の在宅介護が夢だという人は居ませんよね!?でも、その介護経験は、結果として心の安穏をもたらす登竜門なのです。ここに幸せがあるのです。

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