年老いた親御様の在宅介護は投資です。
そのように聞いて、その通り!とおっしゃってくださる方は極めて少数派化もしれません。そもそも何のリターンが期待できるのか?現実的に期待値が無いのですから、在宅介護が投資だなんて戯言でしか聞こえないでしょう。
それに、実際の在宅介護の現場は、てんてこ舞いの日々ですから、何に対して、何を投資しているかといった視点すら持てないはずです。
でも、年老いた親御様の在宅介護は投資なのです。解き明かしましょう。
投資には2種類ある
ほとんどの人が投資として思い浮かべるのは、経済的な投資ではないでしょうか?
株、不動産、為替、国債・・・。
生きていくためには投資ができるというは、必須科目です。
20世紀までは、定年まで企業に勤めていれば老後も安泰だった時代がありました。
今では驚かれるかもしれませんが、株式投資をしているのが会社にバレると投資なんかやってないでまじめに仕事をしろ、といった風潮だったのです。
ましてや、信用取引といった言葉を出そうものなら、それは危ない!、といった非難めいた批判すら受ける時代があったのです。
まだインターネットを通じた取引環境が誕生する前の話で、電話で売買注文を出していた時代です。
他にも、自己投資や、人脈への投資なんかもあります。
経済的な投資は、そこには必ず見返りを期待します。
見返りを期待するという日本語は、ちょっと辛気臭いので、今ではリターンという言葉が一般的ですね。
そのリターンが限定的なのが、経済的な投資です。
限定的と言っても、莫大な資産を築かれる方も多くいらっしゃいます。
でも、限定的なのは、ボリュームだけではありません。
時間にリミットがあるのが、経済的な投資です。
株にしても、不動産にしても、莫大な資産を保有していたとしても、保有していた人が最期を迎えれば強制的に手放すことになります。
つまり、投資の効果、効用は、投資対象を保有できていた期間のみ、保有していた人に影響を与えます。
これが、ほとんどの人が思い浮かべる投資です。
しかしながら、ごくごく少数の人だけが、自分が最期を迎えた先、つまり死んだ後にも善き効果、効用を発揮してくれる投資があるのを知っています。
その一つが、年老いた親御様の在宅介護の経験なのです。
投資の効果・効用
多くの人が思い浮かべる投資対象は、有形であり、時間的にリミットがあります。
それに対して、投資対象の観点から、年老いた親御様の在宅介護は無形です。
また、その効果は介護する子の立場からすれば、生きている間だけでなく、子が亡くなった後にも善き影響を与え続けます。
というのも、年老いた親御様の在宅介護は、親御様と子で創りあげる最後の無形財産なのです。
そして、その財産は有形で無いのが当然なのは、親の心、そして子の心に形成されるからなのです。
ここでよく自分の心を洞察してみてください。
心は歳をとりますか?
ノー、ですね。
心は場所をとりますか?
ノー、ですね。
人生の最期において肉体は朽ちますが、心は朽ちますか?
ノー、ですね。
つまり、心に蓄積された無形財産は、無形だからこそリミットがありません。
なので、介護した子が生きている間はもちろん、亡くなった後にも善き影響を与え続けます。
年老いた親御様の在宅介護が投資だという理由が、おぼろげながらかもしれませんが見えてきたのではないでしょうか。
無形財産の形成こそ積極的に
生きていく上で有形財産を形成する投資の実践は必須です。
しかし、それ以上に必須なのが、心に蓄積していく無形財産の形成です。
例えば、電車でお年寄りに席を譲る、といった行為は善い行いかもしれません。
でも、当たり前と言えば当たり前の行為です。
では、なぜ、年老いた親御様の在宅介護の経験が、無形財産として心に蓄積されるのか。
それは、地球全体を見渡してみると良く判ります。
地球上に住むどの生命を見渡しても年老いた親を世話する子は、人間しか存在しません。
つまり、年老いた親御様の在宅介護は、他の生命とは一線を画した行為なのです。
もっと言えば、もし人間で生まれたのであれば、人間未満で死ぬわけにはいかないと思うのが前向きな人の考えです。
ということは、親が年老いてきたのならナチュラルに手を貸していく、その行為そのものが人間未満を脱しているのに気づくはずです。
ここまで書けば、ご理解いただけるのではないでしょうか。
在宅介護が投資なわけないだろう!それは昨日までの正解です。
人として生きる時間は非常に短い。
この言葉は最期を自分のものとした経験のある人から発せられます。生きているのに最期を自分のものとできる機会は極めて少ないのです。そのチャンスの一つが年老いた親の在宅介護です。
しかしそれさえも逃げれば寿命の短さを知らずに生きるための奔走を始めます。お金を失って死にたくないと地位にしがみつき、欲張ります。
在宅介護ができる機会を迎えたら、それは大チャンスだと判るはずです。