介護離職は自由へのパスポート

 毎年10万人前後の人が介護離職をすると聞きます。

 例えば東京都だと昭島市の人口が12万人弱です。

 相当な人数です。

 しかし、報道では未だにそれが問題だと報じられますが、違います。

 年老いた親御様の在宅介護は能力が高くないとできません。

 なぜなら、親の介護は人間で生まれてきた以上、人間以上で死ぬための登竜門的な取組だからです。

 これをチャンスと言い、実は相当な数の人が掴んでいます。

もくじ

在宅介護の意義を知らない

 年老いた親の介護と聞くと、ほとんどの方が身体介助を想像します。

 そして、その想像による感想は、汚い。

 親が排泄した大便を拭う想像をするので、嫌悪感しかないはずです。

 ましてや、嫁が義理の親の排泄した大便の後始末をさせるのをお願いすれば、もはや家庭内暴力とまで言われかねない状況です。

 もちろん、親の介護となれば、排泄介助はもちろん、食事の介添え、入浴介助、掃除、洗濯等々に追われます。

 認知症に罹患していたとなれば、そこに徘徊、作話、便コネ、不穏等々が重なります。

 普通に考えても、絶対に親の介護などやりたくないと思うでしょうね。

 ましてや、そこに学びは無いし、得することなど何もない。

 そう思うのが当然かもしれません。

モノしか見えないから不自由で苦しい

 かつて、日本人が優秀だと世界から評価されていた時代がありました。

 しかし、令和の時代となった今、その評価は過去のものになりつつあります。

 自分さえよければそれでいい。

 幼少期の振る舞いそのままに大人になり公を闊歩する時代です。

 以前は想像もできなかったあり得ないような殺人、破廉恥な行為、特殊詐欺といった犯罪の数々。

 カネさえあればいい、欲しいものが手に入ればいい。

 そんなモノしか見えない人たちで社会が溢れかえれば、年老いた親御様の在宅介護なんてバカバカしくてやってられません。

 平和な時代を築こうと先人たちが戦後の焼け野原から復興してきた努力も、今となってはそこから学ぶことはもちろん、振返ることすらないでしょう。

 このままいけば気の毒な世界が待ち受けているのは間違いありません。

 なぜ、気の毒なのか。

 自分さえよければそれで良いという心が、人生をどれだけ不自由にして、苦しさしか生まないのかを知らないのですから。

 もっとも、自分さえよければそれで良いという人に、ここに書かれている内容の理解も期待できません。

在宅介護は自由へのパスポート

 在宅介護は、排泄介助を意味しません。

 それは、介護作業の一部に過ぎません。

 在宅介護≠介護作業です。

 この程度のモノの見方は備えたほうが賢明です。

 いくら介護作業が上手になったところで、万人に提供するわけではないのですからそこに意味はありません。

 それよりも、年老いた親御様の在宅介護によって≪ 自由 ≫とは何かを学び取るのが大仕事です。

 大多数の人は、カネさえあれば自由になれるとでも思いがちですが、カネの奴隷になっている現実に気づきません。

 そのような人は、カネが無くなれば不自由なのです。

 そもそも自由とは、そのような制限の無い状態を指します。

 つまり、生きるというのは、常に制限がつきまとうのです。

 会社に勤めれば、勤務の約束の奴隷になります。

 家族を持てば、家族を養う義務が生じます。

 家を持てば、ローンの返済に追われます。

 自由とは、ほど遠いですね。

 だから、カネさえあればその制限を外せると思い、仕事を頑張り、投資を頑張らねば、などの想いに駆られるのです。

 しかし、結果は、もっと制限がかかります。

 自由から遠のきます。

 そもそも、自由とは、それを得ようと思って得られるものではありません。

 制限や制約を超越していくプロセスが、自由への道なのです。

 ですから、まず自分にかかっている制限や制約を詳らかにする必要があるのですが、それを在宅介護が教えてくれるのです。

なぜ在宅介護は自由を教えるのか?

 年老いた親御様の日常は、今、この時も老いと病が進み、最期に向かっていくプロセスの上にあります。

 この事実を否定できる人はいません。

 その上で、このプロセスから、親御様を救い出せると思いますか?

 ノー、ですね。

 つまり、生きるとは、病に罹患し、老いて、最期に向かっていくプロセスであり、これは後期高齢者の年齢になったら始まっているのではなく、生まれた瞬間から始まっているのです。

 もっと洞察すれば、年老いた親御様に限りませんね、私たちの生きることもまた、老いと病と死に向うプロセスの制限と制約に嵌っている。

 この事実を発見できるのです。

 生きることそのものが制限と制約に嵌っているのに、カネさえあればなんとかなりますか?

 なるわけがありません。

 しかし、年老いた親御様の在宅介護を通じて、不自由さの正体を知ったわけです。

 そもそも、生きるとは不自由である。

 だから苦しいわけで、生命の営みに不自由なアーキテクチャを発見した人は、その制限と制約を脱却して自由へ到達するチャレンジを開始します。

 介護離職を選択し、在宅介護にチャレンジをする人は、自由へのパスポートを手にするのです。

 年老いた親御様の在宅介護を経験するチャンスを手にした人は、本当にラッキーとしかいえないのも自由を知るチャンスだからです。

 ほとんどの人が、自由とは何かを知りません。仮に答えられたとしても、それは自分さえ満足できれば良い行動が取れる範疇の説明のはずです。

 値段を見ないでモノを買いたいとか、毎月ハワイに行きたいとか、それを実現できるのが自由ぐらいにしか思えないものです。

 よく一度きりの人生、悔いのないように生きろとも言われますね。

 では、悔いがないと思える生き方って、どうすれば良いのか、答えられますか?

 そもそも、生きるとは何かを知らなければ、悔いの有無なんて見積もれないのです。

 在宅介護を通じて、生きる真理を極めていきましょう。

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