毎朝のルーティンとして、ティッシュペーパーによる折り鶴が日課になった岳母。
マインドフルネスで、最も重要な≪ 気づき ≫の実践を抵抗感なくクリアしてくれました。
≪ 折る、折る、・・・ ≫
自分の動作への気づきが出来るようになると、日常生活のあらゆるシーンに応用できます。
例えば、キッチンで包丁を片手に野菜を切るシーンはやりやすいと思います。
≪ 切る、切る、・・・ ≫
実は、このマインドフルネスの気づきの実践は、転倒防止や、体調がすぐれない時にも応用できます。
常に動いている
自分の身体の動作に気づいていくプラクティスを重ねていくと、すごい発見をします。
実は、私たちは、生まれてから死ぬまで、ずっと動いている。
生きるとは、常に動いているというのに気づきます。
立ち止まっても、瞼が動いている。
眠っていても、心臓が動いている。
一瞬たりとも止まれない。
なぜなら、止まると苦しくなるからです。
心臓が止まる。
呼吸が止まる。
瞼が動かなくなる。
身体の動きが止まると、苦しくなるから動き続けなくてはいけない羽目になる。
身体とは、動き続けていないと苦しいのだからずいぶんと不自由なものだな、と発見をします。
トイレにいきたい
尿意を催すとトイレに行くのが健常者にとって普通の日常です。
では、いま、オフィスでも、自宅でも、どこかに座っていて尿意を催したら、トイレに行くまでにどのくらいの身体の動作を重ねると思いますか?
尿意を感じる→片手で体を支える→立つ→右足上げる→右足進める→右足降ろす→左足上げる→左足進める→左足降ろす→(繰り返す)→片手をドアノブに伸ばす→ドアノブを回す→扉を開ける→・・・・
未だに便座に座れませんが、このように身体の動作をたくさん重ねてようやくトイレの扉を開けるところまでたどり着きます。
マインドフルネスを知る前は、このような身体の動作がこれほどたくさん連続してようやく一つの目的に達するなんて意識したことが無いと思います。
実は・・・。
だから、つまづき、転倒します。
尿意を感じて、立ちあがって歩きだしたら机の角にぶつかって転倒して怪我をした、なんていう話はよく聞きますよね。
つまり、その瞬間、瞬間に自分が何をしているかに気づいていないのです。
尿意を感じて、トイレに行こうとして、そのまえに歩いているのですが、歩いている身体の動作に気づかずに早くトイレに行くことだけが思考を支配します。
なので、転倒して、怪我をします。
これが高齢者となると、骨折したり、認知症の引き金や悪化といった原因になります。
気づきの習慣
トイレの例でも判りますが、尿意を感じると、その感情だけに支配されます。
なので、トイレに行くまでのプロセスで何をやっているのか、何が出来ているのかが判らなくなります。
実は、これは人生の大損です。
極端に聞こえるかもしれませんが、今を生きていないわけです。
例えば、仕事で成功して大金持ちになりたいとします。
どうしてそうなりたいのかは、ちょっと横に置いて、そうなるための過程は一朝一夕には成り立ちません。
そうなるためのプロセスで、何が出来て、何が出来ていないのか、日々、気づいていく作業が欠かせません。
もし、プロフェッショナルとは、あらゆる失敗を知りつくした人であるなら、日々の失敗をつぶさに研究しなくてはいけないでしょう。
手っ取り早く大金持ちになりたいなんて思ったら、妙な投資話や、あやしい儲け話に乗るだけです。
これは、トイレに無事にいけるかどうかというプロセスと同じです。
トイレで確実に用を済ませたいのなら、トイレにいくまでのプロセスを大事にしないと、焦って転んでけがをするのと同じことです。
つまり、プロセスへの気づきを入れていく習慣は、身体の動作のみならず、より良い人生を構築する上でも欠かせない習慣なのです。
誰もが高齢になる道を歩んでいるわけですから、マインドフルネスの≪ 気づき ≫のプラクティスは、人生の全てに当てはまる、まさに転ばぬ先の杖になります。
マインドフルネスの≪ 気づき ≫。
この力は、大きく育てていくほど、今を生きられるようになります。
誰でも人生でピンチや逆境に遭遇しますが、その時に焦れば焦るほど、今、この瞬間への気づきを失います。
なので、良い結果、望む結果が引き寄せられません。
緊張している時や、焦っている時ほど、落ち着け、といったフレーズはよく聞きますよね。
胸に手を当てる人もいらっしゃるかもしれませんが、あの行動が、今の自分の心の状態に気づいて観察している状態であり、しばらくすると落ち着くはずです。
心の状態に気づき、観察すると落ち着く、このメカニズムの必須の力である≪ 気づき ≫を日常から鍛える、それがマインドフルネスだ、と私は学んでいます。