ハッキリと申し上げます。もし、あなたが責任をもってやるべき仕事があって、しかしどうしても専門性を持った他の誰かの手を借りなければいけない状況に陥ったとします。
しかし、やるべきその仕事に対してあなたが手を抜いていたのが判明したら、専門性を持った他の誰は快く手を貸してくれると思いますか?
その答えは、絶対にノーです。
しかし、在宅介護の現実ではそれが横行しています。
仕事がある?じゃぁ、自分の親の介護は他人任せで良いんですか?
あなたが大好きな仕事にイソイソと勤しんで金を稼いでいる間に、低賃金で他人にあなたの親のケツを拭かせるシステムが行政の介護サービスです。
どうして低賃金で、他人があなたの親のリアルなケツを拭かなくてはいけないのか?
それは、まったく顔も知らない見たこともない誰かが支払った税金も投入されているからです。
この現実を知りながら、自分は仕事を言い訳にして、親の介護を他人に押し付けるのが今の介護システムです。
この状態で、日本は介護サービスが充実しているなどと口にしますか?
年老いた親御様の在宅介護において、本当に日本の介護サービスが充実して、素晴らしいと言葉に出来るのは、介護サービス以上の在宅介護を実践した実子だけです。
ハッキリと申し上げましょう。
年老いた親の介護は、実子が責任をとるべき仕事であり、無償の奉仕です。
それが当然の考え方です。
しかし、それでも実子が一人では、負担が多いのが現実です。
親御様の認知症症状が悪化すれば、睡眠時間は確保できなくなります。
ですから、それを相互扶助的に助け合うシステムとして行政の介護サービスがあります。
会社に行くのが目的の人ほど親の介護を放棄する
田舎に年老いた親を残し、自分は東京に出てきて会社に勤める。
アリがちな地方出身者のライフスタイルです。
そして、いざ親の介護が必要になると、仕事を言い訳にして介護は他人に丸投げです。
親の介護をしてくれる他人への給料を誰が支払っているのか。
理解していますか?
もちろん、東京に出てきて責任ある仕事に就いていらっしゃれば、その責任を全うしなければいけないでしょう。
国益、公共の利益に貢献し、奉仕する職務であれば、大いにその責任を果たす意義が産まれます。
そして、そういう人ほど、実は、遠隔地であっても親の在宅介護の責任は放棄しない人が多いのです。
問題は、会社に行くことが目的でしかない人です。
本当は、大企業や天下りの受け皿となっている事業体に腐るほどたくさんいるのが社内失業者なのです。
そのような人は、そもそも責任感がありません。
企業は、何十年も成長しない同じ人を雇い続ける慈善事業体ではありません。
ですから、ひとつの社内で貢献する時期を終えたら、次のステージ、次のフィールドへと上昇転進するのが本来のあるべきライフスタイルです。
実は、年老いた親御様の在宅介護の責任を担わないといけない時期も、上昇転進のひとつのフィールドです。
未だに一つの企業に一生勤めるのが安泰だという幻想がはびこっています。
しかし、現実は、世界のダイナミックな変化に対応できなければいけません。
世界のダイナミックな変化の一環として、あなたの人生にも、ダイナミックな変化として突きつけられるのが、年老いた親御様の在宅介護です。
その変化にすら対応できなければ、その後の未来はどうなるのか?
想像つきますよね?
親の介護の責任放棄のために介護サービスが存在するわけではない
そんな変化を拒む人の親御様の介護を誰か他人にやらせようとします。
誰が助けるんですか?
私ですか?
少なくとも、そのようなあなたに私の税金が使われているかと思うと、ムカつきしか覚えませんが。
つまり、そう云う事なのです。
介護サービスに従事する人は、非常に低賃金です。
確かに、職務を自らが選択肢して、その仕事に就いたわけで、その職責を果たさなければいけません。
しかし、介護サービスに従事する人も、同じ人間だというのを知っていますか?
奴隷じゃないんですよ。
それぐらいは知っている?
では、なぜ、介護サービスに従事する人よりも、自分の親の介護に責任を持とうとしないのですか?
その姿勢が、≪ 介護サービスは頼りすぎれば破滅を導くアウトソーシング ≫という意味なのです。
あなたに親の介護の責任放棄をさせ、楽させるために、介護サービスが存在するわけではないのです。
これもハッキリと申し上げましょう。
年老いた親の在宅介護をやるよりも、会社で仕事をしている方が100倍ぐらい楽です。さらに、会社に行くのが目的でしかない人にしてみたら1億倍くらい楽勝でしょうね。
ほんのちょっとでも考えてみれば判ります。
例えば、24時間、365日、いつあるか判らない親の排泄介助にスタンバイし続ける。それが仕事の一つです。
もちろん、有給、給与、賞与、昇格はありません。
さぁ、頑張ってみて!

