良い介護サービスを受けるためには、良い介護サービスを提供する「人」との関係が問われるのは当然です。絶対的に当然なのですが、ほとんどの人が重要視しないのが不思議でなりません。
ご高齢の親御様、介護の責任を担う子の立場であれ、ケアマネの紹介した施設、そして施設長と面会して、見学して、施設を決めてますよね?
身体介助がありますが、本当にその決断は大丈夫ですか?
人間関係が構築されて初めて介護サービスは成り立つ
ハッキリと申し上げますが、人間関係を構築する能力の無い人に介護職は務まりません。
ドクターやナースと、患者との付き合いでも人間関係は大事ですが、それ以上に介護職は、利用者との間に人間関係を構築できなければ、サービス提供が成り立ちません。
介護施設以外の社会一般の環境で、20代の人と90代の人がお互いに尊重しながら、何かを一緒に成し遂げるといった状況を頻回に目にしますか?
私は、滅多に目にしないです。
会社で仕事をするシチュエーションでも、せいぜい20代から60代までの間に絞られます。
それもお互いに所謂、健常者であり、基本的な共通言語が日本語というのが条件ですが、それでも世代間ギャップなどと揶揄され、世代間の信頼関係にあまり深みを見ないのが現実です。
いわゆる社会一般の状況がそうなのですが、それが介護施設内というシチュエーションでは、その真逆の世界が展開されます。
80代、90代と年老いた男性、女性の施設利用者を労わろうと、20代の男性、女性の介護職員が心を込めて身の回りのお世話を率先してやってくれます。
さて、この世界、表面的には美しくもあり、微笑ましくも思われますが、20代の男性、女性の介護職員は、心底、利用者を労わろうと思って職務を全うしてくれるでしょうか?
大きな勘違い
人間関係を構築する力の無い人に介護職は務まりません。
しかし、介護職にその力を期待する前に、利用者も考えなければいけません。
これもハッキリと申し上げますが、カネも払わないのに、どうして他人の身の回りの世話をしなくてはいけないのでしょうか?
つまり、信頼関係は、所詮はカネが介在しなければ成り立たないのが社会ですし、そのカネが乏しいほど、信頼関係のもろさは非常に顕著になります。
これは、介護サービスでも同じです。
ですから、人間関係が構築されたとしても、それはもろいのが当然、という認識を持った上で介護サービスは利用しなくてはいけません。
実際問題として、介護職員による利用者の殺害まで生じます。
殺害とまではいかなくても、エックスの投稿を閲覧するだけでも、利用者への不満を投稿する介護職員はたくさんいますね。
いいですか?
介護職は、何人もの他人の排便の始末をする仕事が必ず含まれます。毎日です。あなたがこの作業に従事したとして、要求したい、要求すべき対価、その金額を考えたことがありますか?
その金額より、はるかに低賃金でその職務に完璧を求めるのが利用者です。
そもそも無償の奉仕で尽くすのが年老いた親御様への実子による介護です。
それが義務なのは、その義務を果たしたとしても、それ以上に育ててもらった恩を返さなければいけないからです。
それを、笑顔を絶やすな!、親切にしろ!、と無理くり、カネを支払って他人にやらせようという発想が、現在の介護サービスです。
ですから、そもそも介護サービスを利用するのであれば、実子が在宅介護を出来得る限りの力を尽くしたうえで、それでも助けが必要な場合に限らなければ、他人の協力など得られるはずがありません。
年老いた親の介護は大変だから、低賃金の介護職に親を預けてしまえ!
この発想が蔓延している限り、長寿社会は良いものにはなりません。
利用者は、低料金の支払いで介護職に完璧を求め、介護職は偽りの善意で不満を覆い隠し、その捌け口をエックスへの投稿だけならまだしも、やがては利用者への殺害へと発展させます。
介護職以上に在宅介護をハードワークすること!
唯一と言っても良いでしょう。
介護サービスを受ける上で、おカネ云々以上に、預ける親と介護職との信頼関係を強固にするやり方があります。
それは、介護職に人間関係構築力を期待するのではありません。
親の介護に責任を持つべき実子が、介護職以上に在宅介護をハードワークしてください。
そして、そのハードワークの結果を、施設にフィードバックしてください。
これもハッキリとお伝えしますが、他人の協力を得るのに、他人よりサボっている人なんかに、他人は絶対に力を貸してくれません。
社会では、当然のことです。
ところが、長寿社会に突入して、年老いた親が介護が必要となった時に、これが全く判っていないご家庭が多いのです。
例えば、月曜日と木曜日に親御様にデイサービスに通ってもらうとします。
月と木の間の火曜日と、木曜日、年老いた親御様の健康状態について、介護するあなたと介護施設との間で情報共有する必要があるのか、ないのか?
言わずもがなですが、それすらしないで、施設からのお迎えの車に乗せているだけではありませんか?
これでは、介護施設の職員もピリッとはしないのです。
私の実母の在宅介護では、デイサービスの利用しなかった日の様子、健康状態をすべてA4一枚のレポートにまとめて、施設のスタッフの皆さんに共有してもらうように渡していました。
この程度のことは当然だと思うのですが、実践しているご家庭には出会ったことがありません。
少なくとも、私の実母の在宅介護は、介護サービスの職員さんよりもかなりレベルが高く、ハードワークしていた自負があります。
アウトソーシング。
今はそれほど使われない言葉かもしれません。一時期は、エンジニアリングの現場では、エンジニア人材の不足から協力会社や人材派遣会社からある程度の専門性を持った人材に協力要請をかけるか、もしくはタスクを切り分けるなどして外注していました。
どうしても社内人材で補えない状況であれば、それもやむを得ないのですが、やがて時が経ってくるとアウトソーシングの現実はどうなると思いますか?
仕事の丸投げになり、社内で本当に働かなくてはいけない人材が働かなくなります。
その結果、会社はどうなると思いますか?
その会社の特色、独自性を失い、やがて傾いていきます。
この現実は、年老いた親御様の在宅介護でも同じです。
介護サービスは、年老いた親御様の在宅介護のアウトソーシング。
アウトソーシングに頼りすぎになれば、その家の特色は失われ、家系は途絶えていきます。

