これから先、高齢化社会が進み、それが問題だと報じられます。
しかし、ニュース番組をご覧になってみてどうですか?インタビューに普通に答えているお元気な90代の方々が多くなっているように見受けませんか?
本当に介護サービスを必要としている人には、これまでのスタイルでの介護サービスは必須です。しかし、これからの時代、70代、80代でもバリバリ現役の国会議員さんがわんさかと多くなります。
つまり、老後の引退という概念がなくなる時代のあるべき介護サービスとは?今までのようなスタイルが本当に必要?という変化が訪れるのではないか、というのが私の見解です。
年老いた親の介護と仕事
ビジネス英語という言葉を聞きます。
仕事上のコミュニケーションで使用する英語を指してのことですが、もちろん、そのようなシーンでよく用いられる単語や、フレーズは存在するでしょう。
だからといって、英語は英語です。
それと同様に、年老いた親の介護と仕事を分けて捉えるのがほとんどの人だと思います。
まず、この視点を改めるのが在宅介護と仕事を両立するための出発点です。
逆に言えば、分けてしまっているがゆえに仕事を言い訳にして、年老いた親の介護を蔑ろにしがちです。
そうではなく、共に、人生で対処、対応すべき仕事だという認識に改めなくてはいけません。
大人になったら、必ず生じる仕事のひとつが年老いた親の介護です。
認知症にさえならなければ良い
私の経験に限った話ですが、認知症にさえならなければ、普通に仕事と介護の両立は可能です。
ポイントは、認知症に罹患しないこと、そしてさせないこと。
まず、年老いた親御様も、最初から年老いているわけではありません。
50代、60代を経て、80代、90代となるわけですが、この年代で認知症になんか罹患しないよ、と言い切れる生き方をしないといけません。
また、やがて超高齢者となる親を支える子も、親が認知症に罹患しないような支援を早々から始める。
考え方として、親が介護を必要とする(必要とした時)から子は介護をするのではなく、親が介護を必要としないように、早い段階から支援(介護)をする。
この考え方を持ってください。
なぜ、このような言い方をするかといえば、悪しき生活習慣として核家族化が進みすぎてしまいました。
本来の複数世代が同居する家庭では、その営みが自然に行われていたのです。
しかし、現代社会でそれを望んだところで、急には変わりません。
ですから、親御様が将来、介護を必要としないような生活の在り方を構築する。
仕事と介護の両立には、これを創造する必要があります。
年老いた親が介護を必要としない介護をする
先に申し上げましたが、認知症に罹患しない生き方を確立する、これが最も重要です。
しかし、いまだに、国や、医学界からは、絶対的に「これだ!」という指針はありません。
逆に、日本は超高齢化社会で、年を取ればみんなが認知症に罹患するかのような報道が目につきます。
だからこそ、自分で調査を始めるのが出発点なのです。
その調査に基づいて、親御様が将来、介護を必要としないような生活の在り方を構築するのです。
今の世の中、これだけ認知症が一般的だと言われていますが、私が初めて出会った認知症患者が実母です。
そこからまず、認知症と徹底的に向き合いながら、母とも徹底的に向き合います。
そのプロセスの中から、認知症の症状は生じるけれども、心は母のまま、という発見をします。
つまり、その人を認知症患者として見なすのではなく、尊敬すべき母として接するのが何よりも大切、という答えを見出します。
この答えに基づき、私は次のように実母の介護に取組み、結果を出しました。

そして、この経験を応用したのが三度目の介護となる岳母の介護です。
結果として、岳母は認知症に罹患しなかったのですが、老人として接するのではなく、私のかけがえのない伴侶を育ててくださった尊敬すべき母として接し続けました。
このため岳母の介護では、家内も私もキャリアを破綻させずに、在宅介護を両立していったのです。
ポイントは、老いても、認知症でも、どのような病を抱えようとも、実母も、岳母も、心はいつも母のまま。
それをキチンと見続け、その存在に対する尊敬が、介護を必要としない親御様への支援になります。
大企業では介護休業制度は利用しやすいかもしれませんが、中小企業が多くを占める日本では、なかなか取得しにくいというのが本音ではないでしょうか?人ひとりが93日も介護休業で組織から離脱されたら、回っていかない企業も多いはずです。
しかしながら、この問題を解決する糸口は、介護休業制度の理解と使い方はもちろんなのですが、親の介護を経験した人がその後、企業にどのようなメリットをもたらすのかを知るところにあります。
もっと言えば、介護休業を利用する人が、介護経験で、何をどう、会社にフィードバックするのか。どうしたらその成果をもたらせるのかを考える必要があるということなのです。

