在宅介護の回顧録– 初めての介護が実母、そして岳父と続いて、岳母が三度目。 –
2012年頃から本格的になり始めた私の在宅介護の経験を投稿しています。振り返ってみて、どの出来事も昨日のように思い出されるので不思議です。在宅介護に真剣に取組み、そこで得た最も大きな学びのひとつは、≪死≫とは何か。在宅介護では親はそれこそ命を懸けて子に≪死≫を教えます。人生の成功者は死を認めます。死とは何かを最大限に諭してもらえる在宅介護の機会を逃すのはもったいないことを多くの人は知りません。
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認知症を介護する家庭の作り方|キックオフ
新天地で、新居に、しばらく一緒に住んでなかった母、お付き合いは長くても本格的な同居の無かった私と家内、もちろん、母と家内は初めての同居になりますが、そんなお三方が一緒に暮らし始め、しかも母が認知症を患っているという状態から、在宅介護が本格的に幕開けします。何事も最初が肝心です。そして、なんといってもマネジメント力が問われます。ハッキリ申し上げましょう。会社のマネジメントの方がはるかに楽です。(笑) -
私の家のケース:認知症の在宅介護の始まりと奇跡
母との同居は十数年ぶりです。もうひとつ、私と家内もお付き合いは長いのですが、一緒に同居するのも実は初めてです。もちろん、母と家内は、初めての同居です。そんなお三方が、新居で、新天地で、ひとつ屋根の下に暮らし始めるのです。ちなみに、その新居は3LDKのマンションの一室です。そこに、認知症が加わるのです。親の介護なんかまっぴらごめん、という人達にとっては耐えられない環境かもしれませんね。 -
認知症の確定診断
認知症を患うと自分の子供の名前さえも判らなくなるという話をお聞きするかもしれません。確かに、脳の萎縮が進行すれば、そういう状態になるかもしれません。でも、なぜ委縮するのか。また、なぜ進行するのか。もし、認知症が何も判らなくなる病気だとして、では、なぜ、初春だから今は春で構わないと考えて答えられるのか。 いろいろな疑問が当時、浮かびました。 -
認知症の発症|人が変わったように見えてしまう
親族による虐待から縁を断ち切ろうと、これから母と私で一緒に暮らす新たな新居が決まり、その立ち上げに追われていた頃です。新居の準備のために、母の傍から離れなければいけない数日がありました。そのわずかな数日の間に、親族からの虐待に狙われました。その内容を今は公にしませんが、数日ぶりに会う母の様子が激変していたのです。『明らかにおかしい・・・。』 私が初めて、認知症症状に直面した瞬間でした。 -
疑う力を養えよ
信じるより疑うほうが、はるかにパワー、労力が必要です。信じる方が楽だし、楽だから疑いもせず鵜呑みにするのです。常に、世界を疑ってかかれば、自分は孤独でないといけませんしね。ただ、これは死ぬまでに絶対に培わなければいけない力です。自分の子供ですら、たとえ我儘でも言ってくることを良かれと思って信じれば、彼らは騙してくるのです。次のフレーズは、よく覚えておいていただきたいのです。裏切りは、もっとも身近な人が起こす。だから辛さがあります。 -
親への虐待、その罪深さを教えましょう。
本当に何も知らない、判らないというのは最悪の意味で幸せなのかもしれません。仏教をほんの少しでも学んで、ネットでも調べてみると五逆罪(ごぎゃくざい)というのがあるのを知ります。その1番目と2番目にくるのが母、父を殺害する罪だと知ります。実際に殺害していなくても、年老いた親が子に助けを必要としているのに、例えば無視をする、暴言を吐く。その行為は罪だと思いますか?、それとも罪に問われないと思いますか? -
高齢者虐待とオレオレ詐欺は同じ弱点を攻撃する
令和の時代になっても絶えないオレオレ詐欺。ストーリーが巧妙になり、騙される人が後を絶ちません。当初のストーリーは、高齢の親御様の子供が、『オレオレ』といって電話をしてきて、アクシデントでお金が必要になったので用意して欲しいという内容でした。周囲からみれば、なんでそんなにも簡単に騙されるのだろうかと思ったはずです。でも、それが子を思う親の心。 確かに、こう書けば聞こえは良さそうです。でも、その心がすべての不幸の始まりです。 -
虐待への静かなる逆襲
高齢になれば、身体は弱くなります。しかし、強くなるところを見落としてしまっています。それは、心です。それを清らかにして静かに虐待に対処していきます。年老いた親御様が子から虐待を受ければ、落胆するはずです。でも、それでは心が清らかではありません。たとえ大切に育てたとしても子は虐待してくるのが当たりまえ。このような観察眼が清らかな心です。動じていませんね。だから、虐待に的確、かつ有効な対処ができるのです。 -
虐待を見破る目の覚まし方
やれ、孫が生まれればちょっかいを出し、カネを渡し、出産祝いをあげるわ、ランドセルを買い与え・・・挙句の果てには二世帯住宅を建てるわ、孫には生前贈与までする。あのね、そんなことしていて子や孫から尊敬されるとでも思いますか?感謝されると思いますか?もし、子や孫に対して、親がそんなことをしていて尊敬やら、感謝やらされるなら、家族全員で一丸となって最高の在宅介護をやってくれているはずです。でも、世の中を見渡してみてどうですか?現実が見えませんか? -
高齢者虐待のやり口
無事に退院できた母は、当時の生活環境にケジメをつけて私との生活を希望します。 どのご家庭でも同じですが、親子の関係でも振り返ればいろいろあるはずです。しかし、助けを求められれば、二つ返事でオッケーします。同時に、母がこの決断をされて困るのが、それまで同居していた親族です。この退院から母との私の在宅介護生活が始まるまでの期間、彼らから受けてきた虐待が実に卑劣でした。その一部をご紹介しましょう。 -
虐待する子と介護する子の違い
日本中に東日本大震災の影響が残る最中の正月に母は救急搬送され入院しました。それ以前から、母の生活に危機が迫る足音は聞こえていました。母とは電話でよく話をし、また私の事務所にもよく立ち寄ってくれましたから。しかし我慢強かった母も、この入院を機会に堪忍袋の緒が切れたのでしょう。他の親族による母への態度を看過できなくなっていきました。 -
元日午前2時頃に電話
いま振返れば、あの時がターニング・ポイントいうご経験は多いはず。そんなターニング・ポイントは決して喜ばしいこととは無縁です。東日本大震災をきっかけに、東京でも震災の影響は色濃く、人々の心理に影を落としていた頃です。例えば、水道水の放射能汚染の心配。東日本大震災は、物理的な揺れによって都市生活の脆弱さをあぶりだしましたが、家庭内の営みの不都合さもあぶりだしたのではないでしょうか?実母の生活でも、それは例外ではありません。 -
初めての介護
初めての介護。あなたにとって、どのような経験を思い出しますか?私にとって初めての介護は、私の実の母親が、母にとっては義理の父親にあたる私の祖父を介護している姿でした。当時は、≪ 介護 ≫という言葉すら存在しない時代です。言葉で説明されなくても、人として見習わなくてはいけない姿勢を母から学んだのが、私にとっての初めての介護です。 -
ある日突然具合が悪くなる
三度目となる岳母の介護では、マインドフルネスを導入後、心安らぐ日々を過ごしました。しかしある日、突然に具合が悪くなってからはフルパワーで岳母を介護し、最期に向けたプロセスの伴走をします。この内容は深淵です。ただ私の在宅介護未経験時代からの経験を披瀝してからがベストだろうと判断しました。そのため三度目となる岳母の介護の回顧録を一旦とめ、初めての介護となる実母の在宅介護について回顧録を綴っていくことします。 -
介護という言葉。AIとの議論で導く差別的でない使用は世界を変える。
この記事は、在宅介護に頑張る方々、介護関係の仕事に携わる方々、すべての方々に目を通してほしいと思います。ご自身が、いつかやがて高齢になったとき、≪介護≫されたいと思いますか?私は、思わないです。なぜ、拒否反応をするのか?それは、≪介護≫という言葉が指し示す対象が、≪弱者≫という前提だからです。それは、差別的であり、今、日本中で多くの人々の口から発せられる≪介護≫という言葉に尊敬は無く、弱者扱い、厄介者扱いの意図しかありません。