私が実践してきた認知症症状を表面化させない取組で、ポイントを一つご紹介したいと思います。それが、集中力です。
認知症を患っていなくても、集中力の有無は、仕事でもなんでも結果を左右しますよね!認知症症状を表面化させない取組でも、集中力はとても大事です。
認知症ケアでも、集中力の重要性について言及している情報はそう多くない印象を持っています。
それもそのはずで、そもそも認知症を患っている人にとって、集中するというのはどういう状態なのか?また、集中力といっても何にどう集中すればよいのか?それが不明瞭なのです。
多くの人の集中力の正体
学生の頃は勉強に集中しようとしても、すぐに気が散って勉強以外の何かに取組んでしまい、あとになって後悔するといった経験はありませんか?
一方で、遊びとなると寝食を忘れるほど熱中して取り組んだ経験も多いのではないでしょうか。
やりたくないものはやりたくないし、やりたいものはやりたい。
そして、楽しくてワクワクするものは、ずっとやっていたい。
低レベルな自己啓発本などは、このような習性を利用して、それを集中力と称して、ワクワクしてエキサイティングな仕事をしようなどと煽ります。
もし、そのような考えで誰の人生も幸せに導かれるのであれば、取り入れる価値観としては悪くありません。
しかし、現実はその真逆です。
多くの人が出来れば避けたいと思っているのが、年老いた親御様の介護ではないですか?
やりたいことをやれたとしても、やれる時間、時期、範囲、限界は決まっていて、やがてできなくなります。
多くの人が集中していると感じている実感は、実は本当に身につけなければいけない集中力とは違います。
判りやすい仕事の例として、出世競争の熾烈な企業で仕事に集中していると想定してみてください。
笑顔で足を引っ張るのに勤しむのが仕事であれば、ライバルの失態はメシウマですね。
仕事をしていると言っても、その中身が問われるわけで、本当にOne For Allで仕事をしている人は組織では極めて少ないものです。
では、そのような人は、年老いた親御様の在宅介護をするでしょうか?
つまり、日常的な集中力は、自らの欲や怒りをドライブして、それに飲み込まれている状態に過ぎないというのが本当のところです。
多くの人が集中力として捉えているのは、相対的に勝利するためにドライブする、単なる欲か、怒りでしかありません。
身体の動きに集中する
本当に実践すべき集中は、欲や怒りのドライブでは成り立ちません。
もし、認知症を患っている人が欲や怒りの感情で、脳をドライブするとどうなるのか?
少しでも良いから想像してみて欲しいのです。
ここでは具体例を挙げるつもりはありませんが、私の考えでは、認知症症状は悪化すると思っています。
では、認知症を患っている人にとって、どのような集中力を育てなければいけないのか?
そもそも認知症を患っている人が、育てるべき集中力とは何か?
これが判っていないのが現実ではないですか。
なぜなら、本当に育てるべき集中力は、認知症の有無には全く関係ないのです。
その集中力とは、気づきです。
気づきについて、詳しくは次の記事にまとめているので、ぜひご覧になってください。

私の母の在宅介護では、この気づきを歩行訓練で実践しました。
静かなる集中
実母の在宅介護においては、認知症を患っているので、最初に座学的にマインドフルネスがどういうものかといった説明をしてもあまり意味がありません。
なので、はじめから実践です。

お母さん、それでは歩くトレーニングをしましょう。
転んでしまうと怪我するので、壁に手をつきながらで良いですから、足に意識を向けてみてください。
歩きますから、足を上げますね、進めますね、降ろしますね、この3つの動きを確認しながら歩いてみましょう。
上げる、進む、降ろす、そうやって身体の動きに合わせて心の中で確認してみてください。

上げる、進む、降ろすね。やってみる。
このように家の中の廊下を使って、母の歩行訓練をよくやりました。
そもそも、あまり早くは歩けなくなってきており、歩行には捕まるところが必要なので、動作はとてもゆっくりとしたのも功を奏します。
つまり、身体の動き一つ一つに意識が向きます。
逆に言えば、身体の一つ一つに意識を向けられるので、自力で歩くという行為を継続できます。
この実践は、もちろん認知症の程度にもよりますが、コミュニケーションがとれるのであれば実践できるかと思います。
また、この実践は、考えてやるものでありません。
欲や怒りで脳を疲労させずに、意識を身体の動作に集中していくだけです。
外野からは、老人が壁で身体を支えながらゆっくりと歩いているようにしか見えません。
しかし、その老人の意識は身体の動作にものすごく集中しています。
このように認知症を患っていたとしても、集中力は高められます。
この記事のトップの写真にある人物は、この歩行訓練の私の母の後ろ姿ですが、この歩行訓練をやったあとは、母はいつも何かスッキリすると、そんな言葉を残していました。
気づきを鍛えるのが、本来の集中力。私は、そのように認識しております。
私の母への在宅介護では、認知症症状を表面化させない取組により、認知症症状の不穏というのも表面化しなくなっていたので、挑戦は出来なかったのですが、不穏であればその不穏に対しての気づきを実践することで、不穏状態に陥ったとしても、サポートは必要でしょうけれども、自分の力で乗越えられるのではないか。
そのような仮説も持っています。
この記事を読んでくださっている方であれば、マインドフルネスをその基礎から学べるチャンスがあります。
私の母の介護では、その基礎の部分を学ぶために書籍を開くといったところまでは実践できませんでした。もっと早くに私がマインドフルネスを学び、母が認知症を患う前に一緒に勉強できていたらと思えば残念さがあります。
その反省を元に、三度目の介護となる岳母の介護では、このサイトで紹介しているオススメ本を読み、一緒に学習するといった時間も多く持ちました。