認知症を患っていても、年老いた親御様を連れて、一緒に旅に行きませんか?
私の経験では、旅行に認知症は全く問題になりません。むしろ、認知症症状は表面化しなかったです。もちろん、日付や季節を問えば、間違えるでしょうけれども、旅行にそのような質問は必要ありませんから。
そして、もうひとつ。年老いた親を連れて旅行に出かけるなんて、人生で味わうべき豊かさなのです。
親と子で旅行にでかける
幼い頃は、親御様に旅行に連れて行ってもらった思い出をお持ちの方も少なくないはずです。
ただ、私は、親に旅行に連れて行ってもらうというのは無かったです。無かったのですが、父が経営していた会社の工場に連れて行ってもらったのだけは、よく覚えています。その幼少の頃の体験が、今の私を作っていると言っても過言ではないです。
人より若干、苦労はしたかもしれませんが、その経験があるから独立心は旺盛でした。父の背中をずっと追いかけての今日ですが、未だに追い越せてはいないところが親不孝なところでしょう。
ただ、父の遺言と約束にしたがい、父が大切に守ってきた母の介護は完遂しました。
それだけは、及第点ではないかと自画自賛していますが。
その完遂に至るプロセスの中で、ひとつ成し遂げたかったのが母を旅行に連れていく。
それも旅の目的としては、かつて父が心血のすべてを注いだ工場を母に見せてさしあげる。
父は、会社の経営に専念できたのも、母が家をしっかり守ってのこと。
その二人の背中を幼いころからずっと見せてもらってきましたから。
ただ、母は、父が心血を注いだその工場を見たことが無かった。
だから、どうしても見せてあげたかった。母が生きているうちにね。
これが、母を連れて旅にでる目的です。
旅は予期せぬハプニングだらけ。だから楽しい。
そもそも、皆さんは旅行はお好きですか?
私は、正直に言えば、好きではありません。家で静かに過ごすのを好みます。
しかし、人生は、その好みを逆をいかなければ、拓きません。
そうなんです、旅をすればするほど、人生は好転していきます。
世界中を飛び回っている人っていらっしゃいますよね!?
その人は、飛び回るための目的があるのです。
つまり、世界がその人を必要としている。
よく成功者なんて言葉を聞くと思います。財産をお持ちの方を指してそう呼ぶようですが、私の定義は少し違うかもしれません。
その人は、世界から必要とされている。
だから、旅に出るのです。
年老いた親で、認知症を患っているのに旅行なんて考える人は、そう多くないはずです。
もちろん、認知症の年老いた親御様の一人旅というのはムリでしょう。
しかし、介護するキーパーソンがしっかりしていれば、無理どころか、積極的に取り組むべき活動、それが旅行です。
なぜなら、予期せぬ大変なハプニング、のみならず嬉しいハプニングも経験するからです。
その変化に逐次、対応する力をつける意味でも、年老いた親御様と一緒に旅行する価値があります。
認知症を患っていれば、それはなおさらです。
目的が決まったら、次は旅程の計画。
認知症を患い、80代後半の年老いた母を連れて旅に出かける。
その目的は、かつて亡き父が心血を注いだ工場を見せてさしあげる。
父が経営していた当時、オイルショックに見舞われましたが、なんとか経営を引き継いでの今日です。
工場の名称、場所といった情報はここでは伏せますが、今なお発展をつづけるその企業の素晴らしさには目を見張るものがあります。
私が幼かった当時の頃を記憶をそのままに残している建屋もいまなお残り、父と過ごした短い時間を思い出させてくれる存在です。
さて、そのような場所に母を連れていくにあたり、手段の選択は非常に重要です。
年老いた親御様を旅行に連れていく際に、最初に考えるべき問題。
それは、トイレです。
海外に赴いた際、もっとも注意すべきは、トイレと食事で、「出来る時にする」が基本です。
年老いた親御様を連れての旅行では、トイレ事情を中心にして、旅程を組むのが鉄則です。
続きは次の記事に綴っていきます。
どうも認知症を患い、年老いた親御様の在宅介護と聞くと暗いイメージが伴ってニュースでは報じられるのが常のように感じるのは私だけでしょうか?
認知症を患おうが、年を取ろうが、精一杯に幸せに生きようとする姿勢を最期まで貫いた方が良いのに、なぜか暗いイメージを国民、大衆に纏わせる情報が溢れる。
では、そのような情報に飲み込まれないためにはどうすればよいのか?
答えは一つです。変化に対応する力をつける。ジッと最期を待つのが老後ではありません。最期まで変化に対応する力を発揮するのが人生です。そのためにも旅には出ましょう。

