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欲と怒りを抑える練習ー親は子に裏切られて目を覚ます
ご存じでしょうか?裏切りは、最も身近で信頼を寄せた人が起こします。実の子でも親を裏切ります。裏切る方が悪い。しかし利口か、馬鹿かで言えば、裏切られる方が馬鹿なのです。親子、きょうだい、夫婦、ビジネスの現場でも同じです。若ければ馬鹿さ加減をバネにして再起を図ります。成功者の多くが裏切られる経験をするのも次のステップに向けて脇の甘さを無くすためです。そして老いて訪れるのが高齢者虐待です。この裏切りだけは最悪です。裏切られた親はすでに若さ、気力、体力、経済力を失っています。 -
老いていく親が重荷ですか。
理性的に生きる。ご高齢の親御様を率先して介護する人の特徴です。ところが、社会は本能的に生きることを絶賛します。そのため親の介護は重荷でしかありません。もちろん、才能を発揮し成功を収めるべきです。しかし、≪真の成功者≫に求められるのは、本能的な行動ではありません。理性的な行動です。人間で生まれてきた以上、人間以上で死ななければ意味がない。お釈迦様が年老いた親御様のお世話を推奨される理由、知りたくありませんか? -
私の家のケース:認知症の在宅介護の始まりと奇跡
母との同居は十数年ぶりです。もうひとつ、私と家内もお付き合いは長いのですが、一緒に同居するのも実は初めてです。もちろん、母と家内は、初めての同居です。そんなお三方が、新居で、新天地で、ひとつ屋根の下に暮らし始めるのです。ちなみに、その新居は3LDKのマンションの一室です。そこに、認知症が加わるのです。親の介護なんかまっぴらごめん、という人達にとっては耐えられない環境かもしれませんね。 -
介護に子育ての問題は色濃く出ます
どう子育てをしたのか?その影響は、時が流れて、親御様の介護が必要になった時に結果が返ってきます。愛着で育てたのか?それとも、あふれんばかりの愛で育てたのか? この違いをよく知ってください。 -
デイサービス初日
母がデイサービスに伺う初日を迎えます。とても不機嫌そうなご様子から、行きたくないんだなぁ、というのが伝わります。初めての場所で、すでにたくさんの人が集まっている場に、しかも誰も知らないところに飛び込んでいくのです。私だって、多少、緊張はします。介護サービス初日の利用者と家族の様子を紹介しましょう。 -
施設のニオイ(前編)
年齢を重ねると自分の身体さえどうにもならなくなっていきます。街中で歩行の遅いお年寄りを見て、怪訝そうに追い抜いていく人も多くいらっしゃいますね。どうしても急がなくてはいけない事態であれば、いつもは優しく接することのできる人でも、ついイラっとするというのはあるでしょう。社会はそのようなものです。でも、長寿の方が死が間近に迫る立場であっても、尊厳は守られないといけません。では、皆様にお尋ねします。いま世の中にある介護サービスで、尊厳は守られていると思いますか? -
在宅介護の集大成へ(岳母の介護)
在宅介護の回顧録は、私にとって三度目となった岳母の在宅介護の紹介から始めます。私にとって、在宅介護の集大成ともいえる取り組みの始まりですが、その出発点は何か?明確にしていきます。 -
愛着をなくす
在宅介護では、誰もが例外なく取り組むべきテーマがあります。それが ≪手放す≫。この『手放す』が判る人はほんの一握りです。なぜなら、その肉体、身体さえも手放すのが在宅介護の現実です。程度の低いビジネス本にあるような『手放す』とは次元が違います。それが≪愛着をなくす≫。 -
高齢者虐待のやり口
無事に退院できた母は、当時の生活環境にケジメをつけて私との生活を希望します。 どのご家庭でも同じですが、親子の関係でも振り返ればいろいろあるはずです。しかし、助けを求められれば、二つ返事でオッケーします。同時に、母がこの決断をされて困るのが、それまで同居していた親族です。この退院から母との私の在宅介護生活が始まるまでの期間、彼らから受けてきた虐待が実に卑劣でした。その一部をご紹介しましょう。 -
くじけないこと
在宅介護の状況で逆境を感じている人だけに限らないですね。生きる上での困難さや逆風を当たり前のこととして捉えられ、それを当然のように乗り越えていきたい人におススメの一冊です。この世界、苦労≪が≫無くなるのではないのです。そうではなく、苦労≪で≫なくなる。これが最強のメンタルです。 -
在宅介護は貴方を奴隷人生から解放する
奴隷になりたいですか?私は、嫌ですね。あなたは、どうですか。もし、国や、誰かの奴隷になるのが、もう大好きとおっしゃるなら、親の介護なんておやりにならないほうが賢明です。年老いた親を、さっさと施設に入所させて、とっとと逃げ出すべきです。おや?親の介護をやるほうのが、親や、介護の奴隷になるのではないですか?そんな疑問の声が聞こえそうですが、真実は逆です。年老いた親御様の在宅介護は、あなたを奴隷人生、奴隷状態、そして奴隷根性から解放します。揺るがない人としての尊厳を確立するのが在宅介護の経験であり学びです。 -
認知症でも留守番は頼めるのか?
結論から申し上げると、難しい。私の在宅介護では無理でした。在宅介護のある暮らしが軌道に乗るまでには、さまざまな失敗を乗越えます。その一つに、どこまで母に一人で留守番をお願いできるのか、という課題が生じました。例えば、大雪が降り、帰宅困難となって家内を夜に迎えにいかなくてはいけない状況がありました。時間にしておよそ30分程度ですが、この程度の時間であれば問題なく留守番はお願いできました。しかし、半日、一日と留守番をお願いすると、さまざまなアクシデントが伴います。 -
悔いのない選択
親が子を信じる気持ちは、とても純粋です。鬼籍に入った実母も、岳父も、そして岳母もまた、子を信じる気持ちは純粋でした。他にも、多くの親御様にも例外なくその姿を見てきました。そして、信じて、信じて、信じ切っていたのに、晩年になると実の子供に裏切られる。その時の親御様の悲しみの深さといえば、言葉では尽くせないほどです。 -
別のデイサービス施設に移りました
ご長寿の方が利用されるデイサービスの一日は、およそパターン化されています。最初の頃は、新しいお友達もでき、また旧友に再会できるなど、新鮮さはありました。しかしながら、その新鮮さも徐々に薄れていきます。ある程度の施設規模だと数十人の利用者がいらっしゃるので、ひとりひとりに希望に細やかに対応するのはムリが生じます。 -
認知症でも≪暮らし≫は十二分に楽しめます
≪生活≫と≪暮らし≫の違い。これを区別して在宅介護は運営できます。多くの人は、在宅介護は親の面倒を看るぐらいにしか捉えられません。マネジメントの視点、さらには経営者の視点を入れると、在宅介護の取組はキャリア以上のキャリアになるのですが、気づきませんね。確かに、親の面倒を看ることには違いないのですが、どう面倒をみるのか、その思想が大切です。この記事では、介護が必要な私の母に対して、私たち夫婦の二人でどのように『暮らし』を楽しんでいたのか。その様子をお伝えします。
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新年にあたり
いつも当ウエブサイトをご覧いただき誠にありがとうございます。 私の三度の在宅介護経験が役に立つのであれば幸いと思い、開設したウエブサイトですが、お陰様で1年強にわたり更新を続けられました。 当初の目標では、まず1年間、サイトの更新が継... -
ブログ・カテゴリーの変更、それは介護と仕事は相互に活かす経験です。
これまで、『在宅介護は≪今・この時≫を切り拓く』というカテゴリーで、親御様の介護を懸命になされている方に向けた記事を投稿してきました。昨今の世の中を動きを見るに、在宅介護により介護離職を余儀なくされる方々が多くなり、このコンテンツの重要性は増すばかりなのですが、企業にとっては従業員の介護離職は避けたいといった風潮を感じられるようになりました。そのため、カテゴリーの名称を次のように変更します。≪介護と仕事の活かし合い≫ -
サイトへのご訪問をいただきありがとうございます。
ウエブ・サイトを開設してから、半年強の時間が経過しましたが、お陰様で徐々にサイトへのアクセスが増えております。 記事は全て、わたし、さくら けんのオリジナル文章で、独自の経験と調査に基づいて記述してしています。 在宅介護が始まる前に... -
プレ・オープンのお知らせ
≪ 三度(みたび)介護を終えました|https://bloomavision.com≫ ウエブ・サイトを開設しました。