在宅介護の回顧録– 初めての介護が実母、そして岳父と続いて、岳母が三度目。 –
2012年頃から本格的になり始めた私の在宅介護の経験を投稿しています。振り返ってみて、どの出来事も昨日のように思い出されるので不思議です。在宅介護に真剣に取組み、そこで得た最も大きな学びのひとつは、≪死≫とは何か。在宅介護では親はそれこそ命を懸けて子に≪死≫を教えます。人生の成功者は死を認めます。死とは何かを最大限に諭してもらえる在宅介護の機会を逃すのはもったいないことを多くの人は知りません。
-
施設のニオイ(後編)
特養のショート・ステイに1泊をお願いしたまでは良かったのですが、実際に母を連れて施設に伺ってみると・・・。もし、初めてこの記事にご訪問くださった方は、『施設のニオイ(前編)』から目を通してくださるのをお勧めします。それでは、続きを始めていきましょう。 -
施設のニオイ(前編)
年齢を重ねると自分の身体さえどうにもならなくなっていきます。街中で歩行の遅いお年寄りを見て、怪訝そうに追い抜いていく人も多くいらっしゃいますね。どうしても急がなくてはいけない事態であれば、いつもは優しく接することのできる人でも、ついイラっとするというのはあるでしょう。社会はそのようなものです。でも、長寿の方が死が間近に迫る立場であっても、尊厳は守られないといけません。では、皆様にお尋ねします。いま世の中にある介護サービスで、尊厳は守られていると思いますか? -
初めてのショート・ステイ
在宅介護をやっていると、どうしても一日、もしくは二日といった日数を空けなくてはいけない状況を迎えます。例えば、離れた場所での冠婚葬祭がその典型ではないでしょうか。親族であれば、母を連れていきますが、私の親しい友人となれば、それは難しいでしょう。その時に助かるのが、ショートステイ・サービスです。 -
認知症でも留守番は頼めるのか?
結論から申し上げると、難しい。私の在宅介護では無理でした。在宅介護のある暮らしが軌道に乗るまでには、さまざまな失敗を乗越えます。その一つに、どこまで母に一人で留守番をお願いできるのか、という課題が生じました。例えば、大雪が降り、帰宅困難となって家内を夜に迎えにいかなくてはいけない状況がありました。時間にしておよそ30分程度ですが、この程度の時間であれば問題なく留守番はお願いできました。しかし、半日、一日と留守番をお願いすると、さまざまなアクシデントが伴います。 -
選挙と在宅介護
2025年7月の参議院議員選挙が終わりました。投票率が高くないと民意が反映された結果とは言い難いのは、私が言うまでもないことです。一方で、長寿の方々の投票行動は、総務省の年代別投票率をみると70代以上で括られてしまっています。年齢を重ねるほど、投票行動も大変になるのが現実ですが、在宅介護ではキチンと支援していく必要があります。なぜなら、投票権を勝ち取った歴史を検証すれば、支援は当然との思いに至ります。 -
在宅介護で初めての救急車
年老いた親御様の介護に責任を持つ大変さの一面には、親御様の健康状態の変化に左右されるところでしょう。今日は元気でも、明日には具合が悪くなり寝込んでしまう。これが老いの現実です。いつまでも、いつも元気なままでいてほしいと願ったところで叶いません。この変化への対応力、幅が、在宅介護のクオリティを左右しますが、最初はそんな対応力は、皆無に等しいものです。さまざまなアクシデントを乗越えていく経験が、その実力を高めます。 -
在宅介護の装いに赤色を加えませんか?
お年を召したからといって地味な色で装う必要はありません。むしろ、年齢を重ねるほど明るい色を装いに加えるべき、というのが私の在宅介護方針でした。流行を取り入れ、だからといって年寄りなのに頑張ってる感ではなく、どの年代の人達とも浮くことなく、溶け合ってコミュケーションできる装いを心がけるようにしていました。その中で、意識したのは赤色です。私も在宅介護を始めるまでは、取り入れたことのない色だったので、気持ちにハードルがありました。 -
認知症になれば集中力を失うとでも?
私が実践してきた認知症症状を表面化させない取組で、ポイントを一つご紹介したいと思います。それが、集中力です。認知症を患っていなくても、集中力の有無は、仕事でもなんでも結果を左右しますよね!認知症症状を表面化させない取組でも、集中力はとても大事です。認知症ケアでも、集中力の重要性について言及している情報はそう多くない印象を持っています。それもそのはずで、そもそも認知症を患っている人にとって、集中するというのはどういう状態なのか?また、集中力といっても何にどう集中すればよいのか?それが不明瞭なのです。 -
本当に認知症なの?
認知症症状を表面化させない介護を実践していると、実母が認知症を患っているというのは判りにくくなります。ある日、月に一回のケアマネージャーの訪問で、担当のケアマネさんから言われたことがあります。『この分でいくと、次の介護認定は要介護1になるかしれませんね。』確かに良い傾向です。それぐらいにコミュニケーション・クオリティはしっかりします。しかしながら、介護施設を利用できる回数を減らさざるを得なくなります。あちらを立てれば、こちらが立たず、ですね。 -
認知症症状を表面化させない親御様のメンタリティ
もし、この記事を読んでくださるあなたが、年老いた親御様であるなら。もしくは、認知症の親御様に日々、心を通わせられる子の立場にあるなら、ぜひ、知って欲しいのです。たとえ、認知症を患っても、可能なところで勝負します。不可能なところは捨てます。そして、心は認知症に罹患しない、この事実が腑に落ちるように心、メンタリティを鍛えていくのが認知症を患った親御様の老後のあるべき姿です。介護する子の立場は、それを支援します。 -
認知症症状を表面化させない投資家スピリッツ
認知症と投資を掛け合わせた情報提供は、おそらくこのウエブサイトだけかもしれません。なぜなら認知症症状を表面化させない取組には、とりもなおざず投資家スピリッツが欠かせません。年老いた親御様の在宅介護に取組むにあたって、未だ世の中の情報はその行為にネガティブなのですから、当然、為すべき行動はその逆張りに徹するのが王道です。つまり、その行為はポジティブさしかない現実を受け入れたほうが断然、お得なのです。 -
認知症症状を表面化させない被害者意識の脱却
ご自身の親御様の在宅介護は、大変ですか?私は大変でした。在宅介護が始まった当初は、どうしたらよいものかと悩みました。しかし、親の介護のせいで自分が犠牲になっているとは思いませんでした。自分の人生が、親の介護のせいで悲惨なものになっていると、そのような思いには至らなかったです。その逆です。もっとお世話するから長生きしてほしかった。暮らしを楽しみたかった。この願いの実現に向けて全力を尽くしていた大変さが私にはありました。 -
認知症症状を表面化させない視点
認知症を患うとこの世の終わりだ!みたいな先入観はまずおやめになったほうが賢明です。認知症にも種類があるので全てに当てはまるわけではありませんが、認知症を患った親を介護してみると最初に直面するのは、日によって状態が大きく異なるのに気づくはずです。ある日は、昔からの普段通りの様子に見受けられたかと思ったら、翌日には不穏となる。最初は、不思議でした。ただ、そのうち判ってくるのが、誰でも日によって、好調、不調はありますね。それが認知症を患うと少々、独特になるだけです。実は、このように判断できるようになる観察が、認知症症状を表面化させない視点なのです。 -
認知症症状を表面化させない介護の実践
認知症に罹患してもしなくても、あまり恐れる必要はないというのが私の経験則です。なぜなら、認知症は、脳の疾患であって、心は認知症にはなりません。心がしっかりしていれば、コミュニケーションも難しいものではない。認知症を患った実母の在宅介護実践と観察結果です。その理由?簡単です。コミュニケーションの基本は、「心を通わせる」。これに尽きます。 -
年老いた親に興味なんて無いでしょ?
コミュニケーションは、相手が居て成り立ちます。当たり前ですね。では、この当たり前に対してどの程度の深みがあるでしょうか?問題はここです。その深みは、相手への尊敬と興味を持つのが条件です。これも当たり前だと思うかもしれません。しかし、その尊敬と興味をもって、ご自身の年老いた親御様に接しているでしょうか?その親御様が認知症を患ったり、さまざまな病を患ったとしても変わらずに尊敬の念と興味をもってコミュニケーションしているでしょうか?