お別れが始り
病の進行が、如何に岳父を苦しめていたのか。
しかし、私と話をした後に、その苦しさを口にしなくなった岳父には敬意しかありません。
苦しさは続いているだろうに、それを乗り越え、気丈にふるまうようになった岳父の最期は、自らが死の淵に立たされても、そうあらねばならないと見習うべき姿勢を教えてくれました。そして、その姿を家族の脳裏に残したまま、お別れの時を迎えました。
2021年、春のことです。
最期のお別れ
岳父の葬儀まで時間がありました。
岳母と家内と共に、岳父のご遺体を安置しているところに何度も足を運びました。
いくら語りかけても、目をつむったまま。
額に水滴らしきものがあっても汗ではなく、空気中の水蒸気が冷やされて露となったもの。
亡くなった人が、蘇るはずもありません。
しかし、亡骸もまた、岳父が今日まで頑張ってきた証。
当ウエブサイトでも、深めていく内容ですが、眼前にして、触れられる機会が、実はどれほど貴重な経験か。
悲嘆にくれる時ですが、ご遺体と共にする時は、絶対に無駄にしてはいけない機会、というのが私の見解です。
葬儀も終えて
岳父が亡くなったのち、あっという間に、1年は過ぎます。
この間も、さまざまな乗り越えるべき課題が、現象として生じます。
岳父の介護が始まった当初と比べて、岳母が体重が5キロ減り、家内も8キロ減りました。
私も、体重が5キロ減りました。
ただ、さまざまな課題に対して、なんとか道筋をつけつつあるところまで、たどり着きそうです。
同時進行的に、岳母の生活支援がナチュラルに始まっています。
人生のフェーズも日々、変化し、新たな扉、新たな扉と次々にオープンしている実感も徐々に掴み始めてきました。
自らの経験のみならず、テーラワーダをはじめ、多くの人の知恵、知見や見解を参考にして、取り入れるべきは生活に取り入れ、在宅介護をどう切り盛りしながら日々を乗り切っているのか。
そんな日常を稚拙ながらも披瀝してみれば、誰かがまた活かしてくれるかもしれない、そんな風に思っています。
三度(みたび)介護が始りました
振り返ってみれば、実母の介護が始まった2012年頃から、2021年まで、10年の歳月が流れました。
在宅介護を通じて、親子の関係、きょうだいとの関係、友人らとの関係、社会との関係、健康、経済、仕事等々、多岐に渡る課題に真正面から取り組んできました。
そして、これからも、この姿勢を続けていきます。
岳母の存在は、私にとって、在宅介護をさせてもらえる最後の親です。
鬼籍に入ってしまった実母と岳父には、これまで、してあげたくてもできなかったことがたくさんあります。
また、実父とは、私が若い時に他界してしまったので、恩返しらしい恩返しもできていません。
なので、できることはやる。
もちろん、そのなかでも、できないことも多々あるでしょう。
だけど、後悔だけは残したくないですね。
岳母への生活支援・介護となる3度目の在宅介護が始りました。
岳父とのお別れが、その始りのきっかけです。
血がつながっていてもいなくても、私の介護の姿勢に変わりはありません。しかし、1点だけこれまでの親への介護とは異なるところがあります。
私にとって、在宅介護の集大成となります。
ここで目指したのは次でした。
≪介護を必要としないのが真の介護のあるべき姿≫
この姿勢を追求しました。