2012年ごろ 実母の生活支援が始まる
振り返れば、2012年ぐらいまで遡ります。
東日本大震災の傷跡がまだ色濃く残っていた当時、初めて迎えたお正月のことです。
その深夜、すでに時計は、午前零時を過ぎて、日付は1月2日になっていました。
私の携帯電話に、救急隊から連絡が入ります。
実母が家で倒れ、救急搬送されて、入院したとのこと。
当時は、私は離れて住んでいたので、タクシーを飛ばして、すぐに病院に駆けつけました。
その夜は、実母の眠るベットの傍にずっといました。
命が危ぶまれるような大事には至らなかったのが幸いでしたが、いま振り返れば、実母のこの入院の機会が、実母にとっても、私にとっても大きな転機になりました。
退院後、実母の生活を支援する必要性が高まると同時に、取り繕われてきた家庭内の問題が明るみになっていきました。
例えば、実母の生活支援を事実上担うことを最も期待していたはずの人達が、まったく支援しない。
それが、隠しきれない事実として浮かび上がります。
というのも、救急搬送時に、なぜ実母は、家に一人で居たのか。
入院中のベットの上で、その事情を話してくれた実母の落胆ぶりは、よく覚えています。
しかし、退院後も、他の人達からのさまざまな嫌がらせが実母を襲います。
ご高齢の親御様の介護が必要になると、それまで覆い隠されていた家庭内の問題がすべて明るみになる。
いつだったか、テレビでどこかのドクターが話していた、こんなフレーズが蘇ったのも覚えています。
当時は、まず身体的な介護という点では、病院の付き添い、健康観察、日常のコミュニケーション、お薬の管理などが主でした。
また、このような状況で、今後の実母の生活をどう支えていくのがベストか。
その答えを一緒に作っていく活動から、実母への支援と介護がスタートしました。
私が、40代前半の出来事です。
2012年~2013年 在宅介護の幕開け
2012年から始まった実母への身の回りのお世話から徐々に支援も多岐に渡っていきます。
先の入院から退院した後は、実母には、時間をかけて、できるだけ一人で暮らせるような生活スタイルを確立していきます。
というのも、実母と相談し、それまでの付き合いのあった人達とはしっかりと距離を取るように決めました。
同時に、夜の安全安心を守るため、私は、実母の住いに毎日通い、泊まるようになります。
実母は、人と人とのお付き合いというものを非常に大事していました。
だからこそ、人と人との間にある線引きというものもハッキリできる人でした。
振り返るとこの頃が、体力的にも、精神的にもキツイものがありましたが、二年ぐらい経過した頃でしょうか。
2014年に実母の引っ越しが決まります。
実母と私、そして私の家内の3人で新たな住いにひとつ屋根の下、一緒の暮らしを開始します。
2014年~2017年 介護の充実と品質向上
実母のたっての希望で、私達夫婦と新たな住いにひとつ屋根の下、一緒の暮らしが始められたまでは良かったです。
しかし、またしても乗り越えるべき課題が生じます。
この頃、実母は、認知症を発症します。
そのため、私は在宅介護に専念する、その選択しかなくなりました。
生活は、経済的に決して楽ではなくなります。
しかし、そのような問題に苛まれる時は少なく、それ以上に楽しいことが、たくさんありました。
認知症のみならず、転倒して骨折をしたり、その他の病にも罹患し、てんてこ舞いの日々が続いたのは間違いありません。
しかしながら、どんな困難も、楽しいことも、実母、家内、そして私の三人で一緒に受け止め、乗り切りながら、笑顔の絶えない毎日を過ごせるようになっていきます。
ビジネスでの成功よりも、はるかに充実感がありました。
介護の実際は、在宅のお世話を中心に、デイ・サービスの支援を受けました。
料理、洗濯、身の回りのお世話、お話し相手や、一緒に旅行やお出かけもしました。
入浴・排泄介助、口腔ケア、通院の付き添いや、入院時は毎日欠かさずお見舞いです。
車椅子も嫌がらずに、積極的に乗ってくれました。
押される車椅子の上で「楽でいいね!」と母も楽しんでくれ、一緒に桜と菜の花も見にもいきました。
やらなかった介助作業は、痰吸引以外は、ほとんどなかったんじゃないでしょうか。
介護は大変でしたが、私の歩んできたこれまでの時間を振返ってみても、この時ほど幸せを感じられた時間というのは無いかもしれません。
2018年 実母の介護の終焉
認知症介護にも慣れ、こんな時間が長く続いてほしいと願った頃、実母と一緒の生活にも終わりが来てしまいます。
これまでも何度となくピンチを迎えても怪我や病気から回復を見せてくれた私の母。
最期の半年ぐらいは、私はまとまった睡眠時間を取らずに介護と看病に邁進しました。
私の持てる限りの信頼関係を頼りに、多くの一流のドクターが実母の治療に向け力を尽くしてくれました。
しかし、最期に罹った病が不治となり、克服ならず逝去。
この時、私は、はじめて死を直視します。
これまでも、少なくない大切な人達との別れがありましたが、その経験とはまったく異なります。
死に接します。
そして、死とはなにか?
私の母は、それこそ命を懸けて、そのレッスンを施してくれました。
実母の介護の経験、そして、この死を直視した経験は、私のその後の人生をとても良い意味で大きく変えてくれます。
私が20代か、30代のころ、親御様の介護は、突然に始まるというのをどこかで耳にした覚えがありました。当時は、気にも留めなかったのですが、私の場合、現実的にその通りになりました。
サラッと書いていますが、2012年から介護が軌道に乗るまでの期間は、まさに苦労の連続といった時を過ごしています。今、親御様の介護でご苦労をなさっている方には、次のリンクが参考になるなるかもしれません。詳しくは、【Category|在宅介護の回顧録】にまとめていきます。