お金を払ってでも
年老いた親御様の在宅介護は、お金を払ってでもやったほうが良い時間と経験。
私の見解です。
でも、最初からその価値が判っていたわけではありません。
経験していく過程で、徐々にその価値に気づきました。
その経験の素晴らしさが如実に判った時、在宅で介護をしていた実母が亡くなりました。
残念な気持ちは、今でも思い返すことができます。
言葉だけではなく、実母はそれこそ命を賭けて、在宅介護の価値を私に教えてくれました。
その恩に報いたかった気持ちを返せないまま、逝ってしまいました。
しかし、今、私の経験をお伝えして、親御様の在宅介護を担う誰かに役立つ情報になるのなら、その残念さは、喜びへと変わるかもしれない。
そう思い、ペンを執ることにしました。
在宅介護は道徳の王道を歩ませる
結論から申し上げると、在宅介護は、親御様だけに必要なワークではありません。
それを担う子供に幸せをもたらす強力なキーワードです。
私の見解ですが、最強と言っても良いのではないでしょうか。
在宅介護を終えたら、人生が大きく好転した話も耳にします。
また、高齢を迎える親の介護の形も、これからは大きく変わってきます。
でも、今は、言葉は悪いですが、親御様の在宅介護はやっかいものにしか思われない。
高齢化が問題だと、ウエブ、テレビ等々でよく目にします。
非常にもったいない視点です。
なぜなら、年老いた親御様の介護を担ったら、おそらく子の世代の人たちは、自分が犠牲になるぐらいにしか思われないのでしょう。
高齢化社会が問題だとする問題は、実はこの視点から出発します。
でも、それは本当に立つべき正しい視点でしょうか?
答えは、ノーです。
そもそも、年老いた親御様の介護は、それを担う子にとって犠牲を強いるものではありません。
年老いた親御様の介護は、それを担う子に道徳の王道を歩ませます。
高齢化社会は、次世代の子らに道徳の王道を歩ませるのですから、本来、問題となりようがありません。
つまり、道徳とは何か?
これが、さっぱり判らないから、さまざまに問題を生じさせてしまいます。
高齢化社会が問題とするのも、そのためです。
道徳とは人を幸せに導く指針
道徳とは何か?
超簡単で、シンプルな答えしかありません。
道徳とは、人を幸せに導く指針。
年老いた親御様の介護は、それを担う子に道徳の王道を歩ませるのですから、未来の結果はもう見えています。
そこには、在宅介護を経験する前とは比べものにならないくらい、鍛え抜かれた心による安寧と落ち着き払った姿勢を手にします。
ただ、これは経験しないと判りません。
ですから、親御様の介護をしなくてはいけないという立場の方や、今、まさに年老いた親御様の介護の真っ最中だという方は、とてもラッキーです。
そして、今、親御様の在宅介護がやっかいものにしか思えないのであれば、180度、振返った先にチャンスがあります。
なので、在宅介護が視界に入っている立場の人にとって、今がどれだけ貴重なのか。
年老いてもなお、親御様が生きてくださっているのが有難い状況です。
当サイトは、きっと、この価値を手にしていただくのにお役に立てるかもしれません。
末永く、お付き合いを賜れるのであれば、幸いです。
年老いた親御様の介護は、心強く逞しくする道徳です。そして、道徳とは、人を幸せに導く指針。これをマスターする絶好のチャンスが、親御様への介護経験です。
道徳は、言葉を知っているだけでは意味がありません。その中身を経験して、はじめて身に付きます。身につくから、求めなくてもオートマチックに幸せになります。
もし、親御様の介護が視界にあるなら、それはチャンスです。