岳父の生きるを支援する

岳父の病状が悪化 

 私が実母の死を受け入れられずにいた時、もっとも心配してくれたひとりが岳父でした。

 岳父と会う時は、いつも温かく迎えてくれて、弾む話も、どう生きればよいのか。

 そんなテーマが中心でした。 

 岳父は、私の実母にも優しく接してくれました。

 その情景は、今も忘れられません。
 
 しかし、そんな岳父も、私が失意のどん底から立ち直りつつある頃から、徐々に衰えを隠せなくなっていきます。

 ちょうど、新型コロナ・ウイルスのニュースが連日クローズアップされるようになった2020年の早い時期。

 岳父の健康状態が顕著に悪くなっていきました。

最後の食事

 いま思い返せば、2020年のお正月に一緒に食べたピザが、岳父との最後の食事になりました。

 おせちにも飽きたので、ちょっと変わったものをということで、宅配のピザをお願いすることにしました。

 食事を済ませ、ひとしきり話も終え、時刻も遅くなっていたので、私と家内はお暇して帰宅します。

 帰り際、いつも通りに玄関口で見送ってくれる岳父と岳母。

 でも、それが私が最後に見た、岳父の元気な姿になってしまいました。

コロナ禍

 正月も終わったあたりから、2020年は新型コロナ・ウイルスが常にトップで扱われるニュースになりました。

 新型コロナ・ウイルスが初めて流行した当初は、未知なるものであるゆえに恐れる気持ちが支配的な世の中に。

 特に、高齢者と基礎疾患のある人が罹患すると死に至りやすい、そんな特有の病症もあって、人々の意識と行動に制限がかかるようになります。

 政府も、人々の行動に制限をかけざるを得ない方針を取ります。

 致し方のない状況ですが、コロナ禍は、岳父の支援にも悪い影響を与えます。

 高齢であり、なおかつさまざまな疾患を、岳父は抱えていました。

 そのため、接する人を限定せざるを得ません。

 必然的に、岳母が主たる介護を在宅で担う状況になってしまいました。

 本来であれば、家内や私も分担すれば体力的な負担は軽減されます。

 しかし、私も家内も仕事を抱えている以上、移動は電車になり、いつウイルスをもらってきて、岳父に罹患させてしまうか。

 当時は、訪問介護、看護をお願いするにしても、コロナに罹患するリスクを最優先に考えないといけない状況でした。

 私の家内も岳父の看病に、週に何度かは岳父のもとに行くようにもなりましたが、やはりコロナ禍では、慎重さと緊張を強いられます。

 私もそんな岳母と家内をバックアップしていく日々が始りました。

病状の悪化

 このような状況で、2020年に岳父は二度、入院を余儀なくされます。

 岳父も、やせ衰えた姿を誰にも見せたくない気持ちに駆られていました。

 そのため、私と会って話をする機会も訪れないままの日々が続きました。

 岳母もまた、負担が重くなり、疲れがピークに達しているのは、家内から聞く介護の状況で容易に想像できるものでした。

 病に苦しむ岳父に、何もしてやれない気持ちや、救いを求める岳父の気持ちに応えられない苦しさ。

 それが、岳母にはあったようです。

 年が明けて2021年となり、岳父の病による苦しみもピークに達します。

 どうにも逃れられないその苦しみをきっかけに、私は岳父に呼ばれます。

生きるとは苦だな

 病の苦しさから心情を吐露する岳父に、私は寄り添い、手を握り、言葉をかけました。

 私と会うなり、岳父は開口一番、このように、おっしゃいました。

岳父

生きるとは苦だな・・・

 そんな岳父の言葉に、私はもっとも端的な言葉で返します。

その通りです

 静かに交わしたこの言葉の後、岳父はゆっくりと顔を上げ、私を見つめます。

 その目の奥の期待に応えるように、私も、ゆっくりと、岳父のおっしゃる  について、学んだ限りを伝えます。

 そうしたところ、驚くべき変化が岳父に訪れます。

 あれだけ苦しさを訴えていた岳父が、ピタリと苦しさを口にしなくなります。

 そして、食欲も戻る。

 これには、岳母も、家内も、喜んでいましたね。

 コロナ禍での在宅介護は、困難さを極めました。
 いつ誰からウイルスをもらって、いつ誰にウイルスをうつしてしまうのか。
 そのリスクを抱えての生活支援、介護支援になりました。
 当初は、ワクチンもなく、変異するたびに毒性が強くなり、うつりやすさもデータで示され、外出規制もかかっていた頃です。
 幸いにも、岳父にも、岳母にもコロナを罹患させずに支援したのですが、徹底したアルコール消毒をはじめ神経質にならざるを得ず、岳母を初め、未知の介護負担要素がのしかかっていた頃です。

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