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在宅介護の回顧録
認知症を介護する家庭の作り方|キックオフ
新天地で、新居に、しばらく一緒に住んでなかった母、お付き合いは長くても本格的な同居の無かった私と家内、もちろん、母と家内は初めての同居になりますが、そんなお三方が一緒に暮らし始め、しかも母が認知症を患っているという状態から、在宅介護が本格的に幕開けします。何事も最初が肝心です。そして、なんといってもマネジメント力が問われます。ハッキリ申し上げましょう。会社のマネジメントの方がはるかに楽です。(笑) -
在宅介護の回顧録
親への虐待、その罪深さを教えましょう。
本当に何も知らない、判らないというのは最悪の意味で幸せなのかもしれません。仏教をほんの少しでも学んで、ネットでも調べてみると五逆罪(ごぎゃくざい)というのがあるのを知ります。その1番目と2番目にくるのが母、父を殺害する罪だと知ります。実際に殺害していなくても、年老いた親が子に助けを必要としているのに、例えば無視をする、暴言を吐く。その行為は罪だと思いますか?、それとも罪に問われないと思いますか? -
介護と仕事を相互に活かす
在宅介護はトップに立つ必須履修科目です
もし本能のままに総理大臣や都知事をやるとどうなると思いますか?答えは今の社会を見渡してみてくださっている通りです。逆説的に考えてみてください。つまり、トップに立つ、その素養は≪理性≫です。そして、理性は年老いた親御様の在宅介護で育ちます。ライオンなどこの地球上にいる人間以外の生命は年老いた親の面倒を看ません。唯一、人間だけが年老いた親の介護をします。その重責を担う原動力が≪理性≫です。≪理性≫の無い人間の姿カタチをした生命体にトップがつとまると思いますか? -
イチオシの本
がんを治す心の力
私にとって三度目となる岳母の介護では、この著書の内容も参考にしながら、ヴィパッサナー・プラクティスを取り入れていきました。実母の最初の介護では、≪認知症症状を表面化させない介護の実践≫でしたが、三度目となる岳母の介護では、≪介護を必要としない介護の実践≫を狙いました。その中心に据えたコンセプトは、認知症に罹患させない。その目標を入り口として、ヴィパッサナー・プラクティスを取り入れ、認知症を遠ざけていく生活を実践していきました。 -
介護と仕事を相互に活かす
死は大きな決断の重要なツール
いま社会人と言われいる人たちが仕事をしている姿勢は、自分のためです。しかし、盛田さんや、ジョブズさんの仕事に対する姿勢は、他者よりも自分の幸せを優先したでしょうか?答えは、ノーです。年老いた親御様の在宅介護も同じことです。他者の幸せのために仕事をするのが、真の社会人です。その結果が自分にフィードバックされている程度の認知は、真の社会人の新人研修内容です。この心構えがある人に、親の介護をしながら、どうやって生活を成り立たせるのか?という疑問は生まれません。成り立たせるために心と頭があるのです。 -
イチオシの本
こころは原子爆弾ーその巨大なパワーを有効に使う方法
介護でお世話をした岳母も熱心に読んでくれた一冊。強く影響を受けたのが命の発見です。それも、死を直視しなければ見えてきません。つまり、命とは、生きている私たちと、ご遺体との差分。これが判った時の衝撃をよく覚えています。この命こそが心であり、相対的にしか判らない対象を直接的に観察するのがヴィパッサナー瞑想であると判った時には、瞑想実践をしない理由がなくなりました。 -
在宅介護の回顧録
≪命≫=≪生きている私たち≫-≪ご遺体≫
命とは、亡くなったご遺体と、生きている私達の比較、つまり差分によって鮮やかに浮かび上がります。≪命≫=≪生きている私たち≫-≪亡くなったご遺体≫命はこのように相対的に発見するのが最初の一歩、というお話は、岳母も納得してくれました。では、そもそも、≪ 命 ≫とは何か。岳母との会話は続きます。 -
在宅介護の回顧録
死を避けたいですか
岳母との会話のテーマは≪死≫へと移っていきます。そもそも本能と理性の話の本質はこの≪死≫が中心です。なぜなら本能とは≪死にたくない≫衝動です。しかし理性はその衝動を超越し≪死を認める≫。死を認められるから、苦しみを当たり前のものとでき、苦しまずに最期を迎えます。在宅介護の時間を最高に有意義にするならば、≪死≫は必ずマスターしなければいけないテーマです。 -
在宅介護の回顧録
死が本能の無能さを教える
岳母が≪介護で子供には迷惑をかけたくない。≫と発言された時です。私は≪堂々と介護されてください。≫と伝えました。そもそも、親が子に堂々と介護をさせるのは、あるべき在宅介護の姿です。この姿勢は実母の教えです。なぜなら、親は堂々と最期を迎えていく姿勢を子に示さなければいけません。これは死を遠ざけ生に執着していては出来ない姿勢です。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護 事始め・5つのステップ
ホント、中身が軽いんですよね。レベルが低いというか。人生は≪手放す≫、なんて誰もが口にする時代。しかし、せいぜいモノの断捨離です。本当に手放すというのは、対象物を手放すのではありません。対象への≪愛着≫を手放します。モノへの愛着はもちろん、親と子の関係にある愛着、そして身体への愛着。実りある在宅介護は、それら愛着を手放していくプロセス。そのやり方の準備が、この5つのステップです。 -
在宅介護の回顧録
幻想を打ち破る
岳母も生と死が常に隣り合わせである事実を無視して、生が延々と続くかのような希望を抱いていたことに気づかれます。死は、在宅介護において親と子が共に直視しなくてはいけない事実であり、実はスタートラインです。岳母の在宅介護のストーリーは、≪死≫への直視が出発点です。 -
在宅介護の回顧録
在宅介護の集大成へ(岳母の介護)
在宅介護の回顧録は、私にとって三度目となった岳母の在宅介護の紹介から始めます。私にとって、在宅介護の集大成ともいえる取り組みの始まりですが、その出発点は何か?明確にしていきます。 -
初めてご訪問の方へ
3度目の在宅介護が始まる
岳母への生活支援・介護となる3度目の在宅介護が始りました。岳父とのお別れが、その始りのきっかけです。血がつながっていてもいなくても、私の介護の姿勢に変わりはありません。しかし、1点だけこれまでの在宅介護とは異なるところがあります。私にとって、在宅介護の集大成となります。 -
初めてご訪問の方へ
死は生きるを詳らかにする
多くの人は、次のデザイン・コンセプトを骨格に人生を作り上げています。『私が死ぬわけない』。なので、人生100年時代というキャッチフレーズに踊らされ、何十年後の未来を心配します。でも、明日、死ぬかもしれないのに、明後日の心配をして意味があるでしょうか?実は、これがよく判っていないと、親御様の介護は上手くいきません。 -
初めてご訪問の方へ
落ち込む日々が続く
実母を亡くしたのち、私はひどく落ち込みます。流れる時の中で足は竦み立ち止まったかのようでした。その苦しみは言葉にできないものがあります。その苦しみの探求は新たな人生の扉を開けますが、当時は微塵も想像できません。
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